
(写真をクリックすると拡大します/SIGMA DP2 Merrill)
梅雨の曇り空が広がる。廊下のガラス戸に、なめくじの子どもが張りついていた。が、よく見ると、隣の家の庭に鎮座している樫の木の花粉のようである。ようである、というのは、隣の家の大木が、何の木であるか、わからないからだ。野球選手やタレントの名前は何十人も知っているが、木の名前は、せいぜい、十数種類しか知らない。よくよく考えてみたら、昆虫の名前、草花の名前など、あまり知らない。そういうものを知らなくても暮らしていける暮らしのなかで生きてきたからだろうか。なんだか自分が、うすっぺらに見えてきた。