2009年04月17日

読書日記(008)2009年4月16日

『仮想儀礼』篠田節子著

  


このところ、おもしろい小説にめぐりあえて、幸せをかみしめ
ている。というのは、ちと、おおげさか。

夜、布団にはいって、毎晩、ちょっとだけ読もうと思って取り
かかった本だ。ところが、アメリカのTVドラマ「24」のような
状態にはまりこんだ。「あと1章だけ、読むか・・・」

かくして、夜が白みはじめるころ、仕方なく本を閉じるという
事態に陥った。結局、上下巻合わせて1000ページほどの本を、
二晩で読み終える。遅読の私としては、めずらしいことである。


都庁のエリートコースを歩んでいた男が、副業のゲーム・スト
ーリー制作に入れ込んで詐欺にあい、職場を去り、あげくに妻
に逃げられ、悶々としているところに、自分をだましたプロデ
ューサーの男と再開したところから物語は始まる。

人生を棒にふった二人の男は、ひょんなことから、新興宗教を
興して金儲けをたくらむ。「信者が30人いれば、食っていける。
500人いれば、ベンツに乗れるぞ」と盛り上がる。

とはいえ、ストーリーは、思いのほか地味な展開で進んでいく
が、それが妙にリアリティを醸し出している。

そういえば、オウムや麻原は、その後、どうなっているのだろ
うか。などと、ふと思いつつ、社会に適応できない、困った人
たちが次から次へと登場する。そのあたり、閉塞する社会状況
のなかで、宗教の果たす機能について、大いに考えさせられる。

結婚するときはイエス様の前で永遠の愛を誓い、親が死ねば地
元のお寺で供養し、商売繁盛のためには神社で柏手を打つ現在
の優柔な日本人にとって、宗教とは、いったい、なになのか。

世直しや人助けは、NPOや社会起業家の専門分野に移行して
しまったのだろうか。まっとうな社会、まっとうな生き方とい
うものが、果たしてあるのだろうか、と。

そういえば、この本にのめり込んだ感覚と似たようなものを探
すと、2冊の本が浮かびあがる。
1冊は、高橋和己の『邪宗門』。
もう1冊は、五木寛之の『風の王国』。

だが、この2つの作品は、世直しという理念が、最終的には既
存の体制・社会とぶつからざるをえない、いわゆる歴史的・思
想的な構造を浮き彫りにしている。

ところが、『仮想儀礼』は、徹底的に下世話な物語だ。神をた
いして信じてもいない男たちが、おいしい商売として教団を運
営していくのだ。いってみれば、冷めた考え、常識の範囲でし
かものごとを考えない連中のドタバタ劇のようにも見える。

しかし、それゆえにこそ、一抹の信憑性が感じられる。常識と
いうものが、いかにまっとうなものなのか。いや、常識という
と誤解をまねくかもしれない。デカルトが言った「良識」とい
う言い方のほうがいいかもしれない。

主人公は、狂信的な思想なり信仰などもたず、ひたすら良識を
もとに行動していく。そこから見えてくるのは、良識が失われ
た世間であり、多くの人であり、社会である。主人公たちは、
トリックスターとして動き回ることで、読者の固定観念を相対
化して見せてくれるのだ。

世間には、一生、とりたてて名ものこさず、ひっそりと地味に
生きて死んでいく無名の人がおおぜいいる。そういう人たちが
きちんと身につけている良識の総体によって、実は社会という
ものが成り立っているのではないか、などとも思う。

結末には、ある種の爽やかさ、というか、明るさを感じた。な
にか大それた思想を信じるまえに、自分の良識というものを信
じてみるのも悪くないな、と思わせてくれる。

恥ずかしながら、篠田節子の作品を読んだのは初めてで、1997
年、『女たちのジハード』で直木賞を受賞している。
ご一読をお勧めする。
posted by サンシロウ at 04:29| Comment(2) | TrackBack(0) | ★読書日記
この記事へのコメント
あはは。とても他人事には思えない小説ですね。
Posted by ワタナベ at 2009年04月17日 10:30
幸せを噛み締める、素晴らしい言葉ですね。よろしくお願いします。
Posted by ジュンちゃん at 2009年04月17日 20:36
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28520538

この記事へのトラックバック