2009年04月22日

読書日記(010)2009年4月22日

『作家の家 創作の現場を訪ねて』
文:F・プレモリ=ドルーレ、写真:E・レナード、鹿島茂監訳、博多かおる訳、西村書店、2009年





文字通り、有名な作家の「家」の写真を多数収録した本である。
さらに、その家にまつわる作家のエピソードが文章でつづられ
ている。原本は、フランスで発行されたものだ。

収録している作家(の家)は、プロローグのデュラスを皮切り
に、ジャン・コクトー、ダヌンツィオ、フォークナー、ヘミン
グウェイ、ヘッセ、ディラン・トーマス、マーク・トゥエイン、
ヴァージニア・ウルフ、イェイツ、ユルスナールほか、全部で
21人。上記以外の作家は、浅学な私には知らない名前だった。
いやはや、作家といっても、たくさんいるもんだなあ、と妙な
ところで感心している。

この本は、たしか朝日新聞の日曜読書欄で村山由佳が紹介して
いて、興味をそそられて買ったものだ。本が届いてから、ぱら
ぱらと写真を眺め、その立派な住まいの数々に、さすが、一流
の作家の住まいは、ちがうなあ、とあまりに直截な感想を持っ
た。が、指先に刺さったちいさなトゲのように、どこかに、か
すかな違和感を抱いている。とにかく、写真だけ眺めて、本棚
に戻した。

数日前、あらためて本をとりだし、いくつかの作家の紹介を、
じっくりと読んでみた。写真を見ただけの印象とは大違いで、
その家で作家がどんな暮らしをしていたのか、大いに想像をか
きたてられた。文章を読んだあとでは、家の写真もまた、ちが
った見え方をしてくるから不思議だ。

収録されているアルベルト・モラヴィアという作家の名前は初
耳だったが、その記事のサブタイトルが「小説世界と女性の飽
くなき探求者」となっていて、思わず興味を引かれて文章を読
みはじめると、止まらなくなった。

作家のモラヴィアは、「ローマから車で1時間南に行ったとこ
ろに帯状に広がる土地」、「コートジボワールの沿岸地帯のよ
う」な「燃えるような落日を望む白い海岸」をいたく気に入り、
友人で詩人のパゾリーニとともに、土地を手に入れ、家をたて
た。

それも、「過去には興味がない」モラヴィアは、ほとんど装飾
品を置かず、機能的で、シンプルな家をつくった。あるのは本
ばかり。その家のテラスときたら、「砂丘よりも少し高いとこ
ろにあって、海に向かっ」て張りだしているような形で、私は
100回ほど、ため息をつきながら眺めていた。

ぜんぜん違うが、私が以前、久米島で遭遇した、こんなイメー
ジを想い出させてくれた。


T009_06-06-24_154.jpg


作家には、孤独が必需品だ。冒頭、デュラスはこう語っている。
「家にいる時、人はひとりになれる。それも、家の外ではなく、
家の中にいる時に。庭には、鳥や猫がいるから」「孤独という
のは、探しだすものではない。つくってゆくものだ」

そう、この本のなかには、徹底して、作家の環境が垣間見れる。
彼らはいかにして、孤独を確保したか、という。その決意が、
作家の住まいから、自然と漂ってくる。

さて。

ページを繰りながら、私は、最初にこの本を開いたときの違和
感の消息に合点した。それは、西洋、という、あり方について
だ。明治以降、日本は、まず、ヨーロッパを模範とし、その文
化、というより、文明を吸収することにやっきになった。やが
て、二度の大戦を終えると、今度は、アメリカという文明を追
いかけるようになる。

私たちは、暮らしのレベルで、ヨーロッパやアメリカを体験し
たわけではない。テレビや映画、電気製品や自動車、それらが
収まっている「家」の姿を、追い求めた。

この本に対する違和感、それは、家というものの物質感、ある
いは歴史性にあるのではないか。ふと、そんな気がした。あく
まで、合理的に自然を支配していく西洋の自然征服欲、それが、
家のたたずまいのなかにも如実に表れている。

ヴィーンのシェーンブルン宮殿の美しさはなにか。すべてが人
為的で、幾何学的美しさにあふれ、シンメトリーにデザインさ
れた庭園が、息をのむ景観を呈している。

だが、東洋人にとっては、息をのんだまま、はき出せない。息
苦しいのだ。計算され尽くしたたたずまいに、私は、なじめな
い。

それに対して、日本の郊外にある里山の美しさは、いや、安ら
かさは、どうだろう。人為を排し、自然の流れのなかにひっそ
りと寄りそう静けさ。風景のなかに屹立しているのではなく、
溶けこんでいる。

そう、この写真集を読んでいて思ったのは、西洋人のもってい
る形而上学的ともいえる合理性の世界観である。日本との違い
が、画然と伝わってくる。

吉田兼好にしても、良寛にしても、子規にしても、決して、こ
の本で紹介されているような家にはすまないのではないか。そ
の落差に、ささやかな違和感を抱いたわけだ。

ともあれ、いい本である。何百ページもある伝記を読むより、
ヘミングウェイやフォークナーやヘッセが暮らした家を見るこ
とで、彼らが暮らした空間のまえに、自分も立っているような
錯覚におそわれる。ご一読をお勧めしたい。

ねがわくば、同じテーマの、日本の作家の家をレポートした本
があればいいと思う。だが、そんな家は、残っていないんだろ
うな、とも思う。そこが、日本のいいところでもあり、湿度と
四季あふるる諸行無常の国の文化なのではないかと、ひとり、
合点したしだい。
posted by サンシロウ at 04:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ★読書日記
この記事へのコメント
まあね。私は、映画『まあだだよ』の中の老夫婦が暮らす蟄居がいいなと。寝たまま、何でもできる便利さ。
Posted by ワタナベ at 2009年04月22日 11:03
こんにちは〜。
なかなか興味深い本の書評です。
西洋と東洋、大陸文化圏と島文化の構図は極めて興味深くある意味近代日本の確信をついていると思います。
ヘミングウェイはアメリカ人なのにアメリカ嫌いだったみたいですし福沢諭吉も渡米したとき
アメリカは貧しい国と称した。
これはアメリカ西洋における物体信仰、現実主義的な問題点を見抜いていたと言う所からきているんですが何だかんだでアメリカ主義的な文化観の危険性や誤謬性を表していると思います。
今の日本人もいい加減アメリカの影を追わないで自分達の足元を見つめ直してほしいものですね^^
Posted by sakura at 2009年04月22日 11:13
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28612023

この記事へのトラックバック