2009年06月10日

往復メール集(003)★Pへの手紙 2009年6月10日

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メール、ありがとうございました。

写真、気に入っていただき恐縮です。
プロの励ましは、なによりのご褒美です。

僕自身、あーあ、今日も曇りか、などとぼやきつつ海岸へむかい、
それでも、ぼんやりと鉛色の雲が流れるさまを見ていると、
こういう空も捨てがたいなあと思えてきます。

僕らがなぜ晴天に引かれるのか、ことによったら
遺伝子が保存している太古の記憶の問題かもしれませんが、
謎の深い問題ですね。


ヨーロッパの街並みの話、興味深く読みました。
逗子海岸から家にもどるとき、名残りおしく空を見あげ、
しかし電線で切り刻まれた空間を目にして、ため息がもれます。
電線の迷走。
これほど暮らしになくてはならないもので、
これほど醜悪なものは、ありませんね。

もう25年ほど前になりますか、ひと月ほどのドイツ旅行から
東京に戻ってきて、まず感じたのは、街の混沌とした汚さでした。
しばらくすると、その理由が、電線と、それぞれが勝手気ままな
形や色で林立している建物の統一感のなさだと思いいたりました。
もちろん、それはそれで、ひとつの魅力かもしれませんが。

ドイツあたりでは、家は最低でも100年以上保つ、と言われましたが、
それは、温度と湿度の問題があるからだそうです。
日本のように高温多湿な気候では、堅固な家をつくるより、
湿気を逃がす「軽い」家のほうが過ごしやすい。

石と木のちがい。人為的国境と海という自然の国境線、
そんな地誌的文化の違いがあるのかもしれません。
もっとも、イギリスには行ったことがないので、よくわかりませんが。
そういえば、イギリスも島国といえば島国ですねえ。

よいものを長く、徹底的に使い切る、という習慣が歴史のどこで
途切れてしまったのか、おそらく、明治維新から始まる西洋文明の
輸入から始まったのかもしれません。
それも、暮らしと歴史を断ち切るという、大いなる誤解を含んだままで。

いずれにせよ、古いものを大切にするということに関しても、
それを隔離保存することと、そのなかで実際に暮らすことの違いは
大きいと思います。

去年だったか、漱石の『三四郎』を再読したときに、文明輸入の強烈な
軋轢を感じている漱石の時代状況が痛感できました。


もう村上春樹を読了したんですね。すばらしい。
着々と、読書に励んでますね。
恥ずかしながら、ジャックロンドンは読んだことがありません。
僕の読書は大いに偏っていて、まことにお恥ずかしいかぎりです。

そのあとは『坂の上の雲』ですか。当分、楽しめますね。
終盤の巻で宮古島が出てきますので、乞うご期待です。
今度、感想をきかせてください。
                            N拝

PS
冒頭の写真は、2007年10月に宮古へ行ったときのものです。
島尻から、東の海を撮ったものです。
アンコウが口を大きくあけ・・・・。

posted by サンシロウ at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ■和田剛写真展/和田剛
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