
(宝魚 (C) amane)
アマネ画集も、ようやくレイアウトへの流し込みが終わり、
内部初校をプリントアウトした。
これまで何冊も手がけてきたが、いつも頭をかかえてしまう。
これで、いいのだろうか、と。
すべては、自分の思い通りに進めることができる。
だからこそ、それが最もふさわしい形なのか、
つねに自問が押し寄せてくる。
ちょっと、人生に似ていなくもない。
今あるようにしかならないもの、自分で選び出したものなのだが、
ついつい、そうではない可能性に想いを馳せてしまう。
だが、作品というものも、ある種の一里塚、
その時々の流れに身を任せるしかないようだ。
そんな折り、著者のアマネさんからメールが届いた。
「年末から飲み会のお誘いも断って(笑)、久々にサイズの
大きな絵を描いてました。70×45ほどですが、久々に明け方
まで描くような時間を過ごしました。
インスピレーションが来ないと描かないので、そんな時ぐ
らいは描かないといけません(笑)。ただ、描いていると
きは、音楽をよく聞く時間でもあります。
息抜きに、知り合いに頂いた「One Night With Blue Note」
のDVDを見ましたが、アート・ブレーキー、マッコイ・タイ
ナー、ミシェル・ペトリチアーニと懐かしい顔ぶれと音に
静かな興奮を覚えました。
アート・ブレーキーは十代の終わり頃、初めて触れたJazzで、
初めてのLiveでした。マッコイも、サンフランシスコ時代に、
当時チャイナタウンの中にあったKeystone cornerという
ジャズクラブで、ピアノを弾くマッコイの真後ろで背中を見
ながら聞きました。
今は優れたデジタル技術で昔のものも高音質で再生されます
が、その場の空気感や匂い、プレイヤーの何気ない表情など
は、再現出来ません。まあ、聞いてる自分も再現できません
が(笑)。
キース・ジャレットの七十年代後半のケルンコンサート後の
日本ツアーLive五枚組も初めてじっくり聞きましたが、いい
ですね。
クラシックは、自分の好きなドボルザーク、ベートーベンの
ピアノ曲を久しぶりにゆっくり聞き、あらためて当時の人た
ちの情感の細やかさに驚かされました。
時代を越えて、クリエータたちの創り出した世界が未だ生き
て生かされていることの尊さを実感します。音楽を聞いて、
つらつら色んなことを思い出しました。
長々とすみません、今日の那覇は冬の模様で、昨日は夏模様。
島らしいお天気です。では明日の初校の到着を楽しみに待っ
てます。ありがとうございました。 アマネ」
この、のんびりさかげんがいいのかもしれない。
僕も肩の力をぬき、ミュージックを聴くことにした。
ラルフ・タウナーの「Anthem」というアルバムを聴きながら、
あと少しだけ、推敲を重ねてみようと思う。
「Anthem」は、2000年に録音された、ギターのソロアルバムだ。
すばらしい演奏だ。
原稿を推敲しながら聞いていて、ふと、スペインのギタリスト
アンドレス・セゴビアを思い出す。
これがまた、そっくりなんだ。
スペインに行ったことはない。
だが、高校生のときに姉の影響で、フラメンコが好きだったせいで、
いまでもアンダルシアなどという単語を耳にすると、
心がざわめいてくる。
死ぬ前に、一度は行ってみたいと思っている。
もし結婚できれば、新婚旅行と称して、
半年くらい行くことができるのではないか・・・。
いやあ、でも、ポルトガルもいいらしいし、
できれば、昔訪れたヴィーンにも行きたい。
いや、どうせなら、イースター島だな、
と妄想は暴走するばかり。
そういえば、ガイアで出版した『沖縄正面』の著者、
ダニエル・ロペスは、国籍こそスイスだが、
正真正銘の(というのも変だが)スペイン人。
そして、彼と知り合ったのは、アマネさんからの紹介だった・・・
縁というものは、まことに不思議なものである。
今日の逗子は、雪がふりそうなほど冷え込んでいるが、
その冷気が、からだの細胞のすみずみまで洗い流してくれるようだ。
アンダルシアに乾杯。