2006年03月10日

読書日記 002 森芳子 他「こどもたち こどもたち」

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こどもたち こどもたち―1948年・1954年の絵日記

森芳子、森秀文、鶴見俊輔、谷川俊太郎、
近代出版、2002年


最近、歳をとったせいか、ふとしたはずみに、こどものころを思いかえすことが多くなった。そのとき、記憶にひっついてくるのは、質素な幸福感だ。

いったい、こども時代というのは、幸福なのか、不幸なのか。本当のところは、よくわからない。たぶん、そんなことは何も考えていないから、世界がいきいきと見えていたのだろう。

「こどもたち こどもたち」という本は、サブタイトルの通り、1948年と1954年のこどもの絵日記を1冊にまとめたものだ。加えて、鶴見俊輔の、時代のながれと人びとの暮らしを透徹した目で見据えた明快な文章と、谷川俊太郎の詩、五線譜のついた童謡などが盛り込まれている。

読んでいて、おもわず記憶がひっぱられ、自分が生きたこども時代の風景がかさなってくる。もちろんそれは、同じ時代に生まれあわせたという理由が大きい。僕は1954年に生まれたので、ほぼ同世代だといっていいだろう。1954(昭和29)年9月11日の日記は、こんな具合だ。

  おつきみだから おかあさんとぼくと、があどのとこに
  すすきをとりにいきました。(中略)
  うちにかえって おだんごも そなえました。
  なしも かきも くりも そなえました。
  よるになって おかあさんとおねえさんとぼくと
  おつきさまをみると ほんとに うさぎが
  おつきさんのなかで ならんで おもちを
  ついているみたいに くろいうさぎの
  かたちのようなものが ありました。」

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(本文より)

あのころ、季節を楽しむ行事が多かったように思う。四季の色合いは濃厚で、暮らしにメリハリをつくっていた。テレビやファミコンがないかわりに、なんでも遊びになった。小学校への道すがら、水たまりに張った氷を割ることすら遊びになった。暗くなるまで山猿のように野山を駆けまわり、家事を手伝い、親や先生をうやまい、よく笑ったり泣いたりした。昨日のことにはへこたれず、明日のことには思い悩まず、その日その日を楽しんだ。

そんな郷愁を抱くのは、時代がすがすがしかったからなのか、あるいは、こどもというものが、どんな時代でもそんなふうに生きているからなのか、僕が脳天気だったからなのか、よくわからない。

もう一つ、1954年11月10日の絵日記を紹介しよう。

  もうせん、せんせいたちと、
  とくまる(田んぼ)に いって いなごを
  とったのを きょうのよる、はねとあしを とって
  くしにさして、でんねつきで やきました。
  すごくいいにおいだから たべたくて 
  たまらないです。(中略)
  おとうさんに「あげる」といったら
  「いらない」とおっしゃいました。
  ぼくは ひとりで たべました。
  とっても おいしかったです。

僕はイナゴを食べた記憶がないが、よくハゼを釣りにいき、父がそれを甘露煮にして、正月のご馳走にしたのを覚えている。

僕は1954(昭和29)年に逗子で生まれ、三歳のときに横須賀市の衣笠という町へ引っ越した。家の前の市道はアスファルトで舗装されてはいたが、路面には、車に轢かれてぺしゃんこになった馬糞が散らばり、車もたまにしか通らなかった。

近所の友だちと、「横切り遊び」をした。向こうからやってくる車の前を、ぎりぎりに横切って反対側へ渡る遊びだ。いま思うと、とんでもない遊びだ。じっさい、友だちが、よけきれずに足がぶつかり、骨折した記憶があるが、本当のことだったのか、記憶があいまいだ。

市営グラウンドでは月に1回、家畜の品評会があって、急ごしらえの板の柵のなかに牛や馬やブタが入れられ、競りが行われる風景を楽しんだ。いま思うと、出張動物園のようなものだ。

冷蔵庫は木製で、上下に部屋が分かれていた。夏の朝、氷屋が三輪トラックで氷を売りにきて、一貫という単位で買う。その氷を冷蔵庫の上の部屋にしまう。冷気を下の部屋へ落とすというしかけだった。夕方になると、床の上に置いたバットには、溶けた氷が水になって溜まっていた。

風呂は、新聞紙とマキと石炭でたいていた。小学校4年生のころに、近所の同級生の家にテレビが入り、夕ご飯を食べ終わると、そそくさと、その友だちの家にこどもたちが集まり、正座してテレビを見た。

話し出すと切りがないのでやめるが、そんな時代だった。

ちなみに、1954年の7月に、自衛隊が発足した。

〈私たちの時代に失われてしまっているのは「幸福」ではなく「幸福論」である〉と寺山修司は言ったが、「こどもたち こどもたち」の絵日記は、軍隊を持たない国のかたちのなかで、束の間の、安息の日々をうたった幸福詩なのかもしれない。

僕らは、その詩を口ずさむことを忘れ、信じてもいない、楽しいとも美しいとも感じない騒々しい歌を、いまだに歌いつづけているようだ。歌を忘れたカナリアを笑えまい。
(和田文夫)
posted by サンシロウ at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ★読書日記
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