2011年11月13日

雲を眺めに逗子海岸 115(603)2011.11.13(日)

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(ニコンD90、ニッコール16-85ミリ)

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(ニコンD90、プラナー50ミリ)

立冬の次候だが、地は凍らず、暖かい一日。
きれいに焼けた南西の空に、絵に描いたような宵の明星が
ぽつんと浮かんでいる。

暖かく、静かなので、持参した折りたたみの小さな椅子を取り出し、
波打ち際にすわって、暮れゆく空をぼんやり眺める。

ふと、ずいぶん昔、オートバイの旅で野営したときの記憶がよみがえる。いま、
仕事で、『ダークスター・サファリ』(仮題)という本の校正刷りを読んでい
るせいかもしれない。

ポール・セローという作家の旅日記だ。エジプトのカイロから、南アフリカの
ケープタウンへ至る旅の日々を記している。エチオピアでは、かつてアルチュ
ール・ランボーが暮らしていた家を訪ねて、ハラールという町へ足を伸ばす。


 「完全に現代風でなくてはならない」と書いた十九歳の詩人(ランボー)は
 このとき三十歳近くになっていて、若白髪もあり、ラクダの隊列で海岸まで
 運ぶ象牙やコーヒーの袋の重量を、突き刺すようなペン使いで台帳に書きこ
 んでいた。意外なほどの熱意が、肌の色と同じくらい彼を際立たせた︱アラ
 ビア語の能力も、コーランの知識も、写真家としての腕前もずば抜けていた。
 危険なダナキル地方を歩き、誰もいないオガデン砂漠を探検して、蜘蛛の巣
 のように伸びる経路とわずかなオアシスについて報告した。ある過酷な旅の
 あとには、「どんなことにも慣れた。もう何も怖くない」と記している。


旅のひりひりした孤独感を懐かしくおもう。いや、ランボーは、ハラールで十
年近く、「暮らしていた」から、旅というには当たらないかもしれない。商人
として、コーヒーや果物、ときにはライフルなどを仕入れて売りさばいていた
という。

詩と家族や友人と西欧を捨てたランボーは、アフリカの大地で何を見ていたの
か。そして、砂漠は、なぜ、かくも人を寄せつけるのか。


  だがここはハラールだ。ハンセン病患者や、ハイエナ、象牙の密輸、ゴミ
 溜め、酷使されるロバ、丸石敷きの路地にある剥き出しの汚水溝、香辛料の
 強烈な匂い、血まみれで大包丁を振るって、ラクダの毛むくじゃらのこぶを
 ぶった切り、なめらかなチーズ状の脂肪を取り出し、ねじけた笑みを浮かべ
 てそれを贈り物として差し出す肉屋、人々の祈りの声、薄暗い小屋へ客を誘
 いこむ暗い目をした女、ガイジン!≠ニいう叫び。それらすべてが、ラン
 ボーがこの地で安らぎを覚えたわけを物語っていた。彼がアフリカを愛した
 のは、この地がときに痛烈に、ときに漠然と、ヨーロッパや欧米との隔たり
 を感じさせるからだった。私も同じ理由でここが気に入った。故郷を思い出
 させるものは、ここにはひとつもない。アフリカを旅するのは、暗黒星(ダ
 ークスター・サファリ)を旅するに等しかった。


飢餓、虐殺、政治的混沌、人種差別、民族紛争がうずまくアフリカ。だが、セ
ローはそんなアフリカをひとりで旅をつづけながら、西洋近代とはちがった
「あり方」に、一筋の希望さえ見出す。それは、何か・・・。

『ダークスター・サファリ』(仮題)は、北田絵里子さん、下村純子さんの翻
訳で、来年の1月に、英治出版から刊行される。ぜひ、読んでいただきたい一
冊だ。

立冬/次候(56候:11月13〜17日)
地、初めて凍る
日の出  6:14(前日  6:13)
日の入 16:37(前日 16:38)
posted by サンシロウ at 20:46| Comment(1) | TrackBack(0) | ★雲を眺めに逗子海岸
この記事へのコメント
日本はアフリカよりアフリカ的段階だね。
Posted by watana at 2011年11月14日 23:17
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