




(写真をクリックすると拡大します/シグマ、DP2 Merrill)
まだ読谷にいる・・・このブログのなかでは。
昼寝の誘惑をたたみこみ、車へもどる。渡具知ビーチをでて、農
道へ折れる。どうでもいいような脇道にまぎれこむ性癖が、僕に
はある。農道の直角の曲がり角に、アメリカ人の中年の女性がい
た。大きなセントバーナードを二匹、連れている。散歩だだろ
う。僕の車が近づいたので、犬を呼び寄せている。僕は社内で頭
を下げ、徐行しながら先へ進む。
鳥居通信施設にぶつかって左へ折れると、木綿原遺跡があり、す
ぐビーチへ出られる。車を路肩に停め、ゆっくりビーチへ歩いて
ゆく。陽射しがまぶしく、相変わらずうなじが焼けるようだ。時
計を見ると、午後6時。まるで、正午のような空だ。
ビーチへでる藪の切れ目に大きな木がぽつんと立っている。モク
マオウだろうか。呻吟しながら体をひねっているような形に見と
れる。海風のせいで、そんな姿になってしまったのか。ビーチは
白い砂浜がつづき、ひとけもなく、ひっそりとしている。
鳥居通信基地の前にある浜のほうへ歩いてゆく。アダンやソテツ
が伸び伸びと育っている。かりゆしウェアを着て、ビニール袋を
もち、サンゴか貝殻を拾っている男性の二人組。タンクトップに
短パンの若いアメリカ人カップルが、これまた下を向いて、とき
どきしゃがんで何かを手でつまんでいる。浅瀬には、パドルサー
ファーが一艘、何をするでもなく、海の上に立ちつくしている。
波打ちぎわには、アーサーがびっしりと打ち上げられていて、ビ
ーチの中ほどまで打ち上げられたアーサーは、サンゴと同じくら
い真っ白に脱色されていた。その上をあるくと、スポンジの上に
いるみたいだ。
何枚か写真をとって、58号線に戻る。鳥居ステーションを左に
見ながら、基地をぐるりと回って、楚辺の浄化センターへ行く。
門扉は閉まっていて、駐車禁止となっていたが、車を停める。す
ぐ隣が公園になっていて、きれいに整備されている。ホースが無
造作に投げ出してある。水をまいたのだろう。地元の中学生と小
学生の4人のグループが、地べたに座って、なにやらゆんたくし
ている。僕をみて、にやにやしている。
「ユーバンタって、どこ?」とたずねると、
「そこ」と言って、笑いながら背後を指さした。小さな浜で、ひ
とり、泳いでいる人がいた。公園の南側には、アーサーがびっし
りとついた岩場が広がっている。不思議な光景だ。かなたに、北
谷の街並みがみえる。
写真を数枚撮り、少年たちに「ありがとう」と言うと、「さよう
なら」と元気な声が返ってくる。帰路につく。歳のちがう近所の
こどもたちが、西日の射す浜辺にたむろしておしゃべりしている
姿に懐かしさがこみあげてきた。昔、子どもたちは、あんなふう
に遊んでいたなあ。
58号線に戻るとき、そういえば、さっき、サンエーがあった
な、と思いだし、夜の食事を仕入れようと、58号をすこし戻
る。宮古島でもよくサンエーに買い出しにゆくが、宿の人から、
「サンエー派」ですね、と言われた。僕は、そうです。と答え
てから、サンエーのポイントカードを見せるのが、ゆいいつの
自慢だ。どうやら、サンエー派、カネヒデ派、マックスバリュ
ー派などの派閥があるらしい。
サンエーで、セイイカとカツオとまぐろの刺身盛り合わせやサラ
ダやジューシーおにぎりやビールなどを買って駐車場へ戻ると、
空が燃えていた。ああ、日没までビーチにいるべきだったと後悔
したが、まだ間に合うかもしれないと、都屋漁港のほうへ降りて
行く。漁港の端にある堤防の隣にある小さな浜へ降りて三脚を立
てる。かろうじて、数枚、撮ることができた。
それにしても、おれは一体何をやっているんだ、という疑念が頭
をもたげてくる。取材してるのか、遊んでいるのか、漂流してい
るのか・・・よくわからない。
思えば、いつもそんな旅の仕方をしてきた。宮古島の写真集をつ
くったときも、同じだ。その土地の文化も歴史も、見ないように
する。いま、そこに暮らす人たちの姿を、少し離れて見る。孤島
に漂着した遭難者のように、ただ、自然だけを眺める。
十代のころから、そんな旅ばかりしてきたことを思い出す。人の
旅の仕方というのは、人の数だけあるかもしれないが、その人の
旅の仕方というのは、おいそれと変わるものではないんだな、と
思う。
だから、なんなんだ、と言われても困るが、旅というのが、つね
に、たった一人の自分ととことん向き合うことなのだと、久しぶ
りに思いだしたのである。帰るところがあるから、旅は楽しいん
だと高見順は言ったが、この寂しさに面とむかえるから旅は楽し
いんだな、と琉球庵へ向かって車を走らせながら考えた。
(つづく)