2006年06月01日

★編集者のひとりごと 006 2006-06-01

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逗子の庭の草たち(2006年5月19日 撮影)


7月に発行する予定のビジネス書のDTP作業にはまりこみ、徹夜状態。レイアウトが大幅に変更になったので、100ページほど組んだところで、それをいったん破棄し、やりなおし。

とはいえ、まったく苦にならない。いや、面倒なことはたしかだが。つくづく、この仕事が好きなんだと思う。どんな仕事でもそうだろうが、本をつくる仕事も、繰り返しだ。

一冊つくり終わると、また次の本が始まる。だが、どれ一つとして、同じものはありえないし、同じようにつくるつもりもない。いや、もしそう思うなら、おしまいだ。

プロのスポーツ選手は、みずからに妥協を許したときに、引退を決意するのだろう。問題は、繰り返しのなかに、新たな突破口を見出そうとしているかどうかだ。

夜が去るのが、だいぶ早くなってきた。今朝は上々の天気だった。朝6時半、「ビン・カン」の資源ゴミを出しに行くとき、初夏の空がのぞいていた。

また夏がやってくるのかと思うと、心がぎゅっと弾みをつける。

このところ、寺山修司の「幸福論」を読んでいる。インテリが書斎で理屈をこねくり回して編み出した幸福論を寺山は一蹴する。冒頭、

「私たちの時代に失われてしまっているのは「幸福」ではなくて、「幸福論」である。」

で、ガツンと頭をキックされ、

「政治を軽蔑するものは、軽蔑に価する政治しか持つことができない。幸福の相場を下落させているのは、幸福自身ではなく、むしろ幸福ということばを軽蔑している私たち自身にほかならない。」

という指摘で、ぼくは、活字を追っていた視線を外へ向け、もういちど世界を見直してみようとそそのかされてしまう。

1973年に書かれた本とは思えない。状況は改善しているどころか、ますます軽蔑のキャッチボールだ。ここはひとつ、屈託のない青空を見上げ、肩をほぐすしかない。

梅雨には梅雨の思惑があり、晴れには晴れの魂胆がある。鬱陶しい雨、という不平をたれる前に、形容のついていない世界を虚心坦懐に眺めてみたいものだ。
(和田文夫)
posted by サンシロウ at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ★編集日記
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