2020年09月13日

『孤島の発見』電子書籍化日誌(7)2020年9月13日

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★編集日記 2020年9月13日『孤島の発見』電子化日誌(7)★

宮古で台風に遭うことは何度かあった。どれも、すばらしい体験だった。台風がやってくるのは数日後だったが、海がうねり始めるときなど、一日中、海岸巡りをしたものだ。

2006年7月11日も、近づいてくる台風の影響で、波が高くなっていた。イムギャーからシギラベイにかけて写真をとっていたが、大波の表情を間近で見たくて、海に突き出た岩場を、前へ前へと進んでいき、シャッターを押しつづけていたが、ファインダーのなかで、海面が盛り上がってゆっくりと自分のほうへ向かってくるのに気づき、ファインダーから目を離すと、目の前に波が来ていて、あわてて、ぴょんぴょんと岩の上を走りながら逃げ戻った記憶がある。

それほど緊迫した状況ではなかったが、万が一、波にさらわれていたら、周囲には人影もなかったので、まずい状況になったかもしれない。まあ、自然相手に写真を撮る人には、多かれ少なかれ、命の危険を感じる場面も多々あるはずだ。

そんなことを思い出し、波の写真を数枚、紙版より増やそうと思った。写真には、写した人のさまざまな思いが、まとわりついているんだと、改めて思い知る。もちろん、写した本人にしかわからないことだが。それにしても、僕らは、大波という、ある種、自然が見せる恐ろしい姿に、どうしてこれほど惹かれてしまうのか、いつも気になる。

[この写真は、2006年7月11日に撮影。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

2020年09月08日

『孤島の発見』電子書籍化日誌(6)2020年9月8日

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来間島には、こうした小さな浜辺がたくさんある。もちろん、それは来間島にかぎったことではなく、宮古のいたるところにあるだろう。

この、小ささが、こぢんまりした様子が、ぼくは好きだ。人にはそれぞれ、好みの大きさがあるのではないかと思う。久米島ほど小さくはないが、沖縄本島ほど大きくはない。その大きさ、度合いが、ぼくにとっては相性がいいのだろう。

そういえば、この浜辺に腰を下ろし、ペットボトルの冷たいお茶を飲んでいたら、観光で訪れたらしい若い女性が二人、記念写真を撮りにやってきた。二人の話し声は、もちろん、ぼくの耳にも聞こえてくる。

「ねえねえ、ここにさあ、パラソル持ってきて、クーラーにビールとワイン、チーズにカルパッチョ、超天国だよね、明日、来ようか」

天国を超えた「超天国」なるものが実在するのかどうか、僕は知らないが、言いたいことはよくわかる。僕としては、この浜に小さな小屋を自力で建てて、住んでもいいと思っているくらいだ。

[この写真は、2007年7月11日に撮影。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

2020年09月05日

『孤島の発見』電子書籍化日誌(5)2020年9月4日

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砂山海岸の作業を終え、来間島の作業に入る。
この写真は、来間大橋を渡るまえに、橋の橋脚を見にいったときに写したものだ。潮が引いた岩場を歩いている人を見つけて、その小ささに感動したようだ。それにしても、この人物は、いったいどこへ行こうとしていたのだろうか。

ちなみに橋脚を見にいったのは、よくそこでウミガメが休憩していると聞いたからだ。そのときは、残念ながらウミガメの姿はなかった。

[写真は、2006年7月11日に撮影。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

2020年09月04日

『孤島の発見』電子書籍化日誌(4)2020年9月3日

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僕はカタカナ語が好きではない。昨今、マスコミなどでは「和の文化」などと、もてはやしながら、現実には、ほとんどアメリカ文化に侵略されているのが今の日本だ。コロナに関してだけでも、「ロックダウン」「東京アラート」「クラスター」など、カタカナ語の嵐で、この8月で100歳を迎えた我が老母には、いま日本で何が起こっているのかすら理解できない。まあ、ボケが入っているせいもあるけど。スマホを使わない人々を無視して運営していくのが今の日本だ・・・。まあ、年寄りの文句はさておき。

僕は、ムーンビーチを「三日月湾」もしくは「三日月の浜」と呼ぶことにする。この、ほとんどいつも人がいない、ひっそりと穏やかな三日月の浜にいると、理想郷、あるいは桃源郷にいるような気分になる。では、桃源郷にいるとき、人は何をするのか。

じつは、何もしないのだ。
ただ、静かに海につかり、そのあと、波打ち際に腰をおろす。遠くの水平線や、うっそうと生い茂るモクマオウの林、巨大な入道雲がゆっくり流れてゆく空を眺めながら、缶ビールを飲む。ときおり、いっしょに行った彼女や彼に向かってささやくように「最高だね」と言って、微笑む。これが理想郷の振る舞いだと思う。

僕にとって、宮古にはそんな場所がいっぱいある。それを確認し、記録するために、写真家でもないのに、写真集を出したのだと、いま、ようやく納得できたような気がする。

[写真は、2012年7月9日に撮影。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

2020年09月02日

『孤島の発見』電子書籍化日誌(3)2020年9月2日

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「砂山ビーチ」の近くにある、あまり人が行かない浜辺に行くことのほうが多かった。こちらは、山道を越える必要はなかったが、密林あるいは沼地を越える必要があり、それはそれで楽しかった。

この浜辺では、ほとんど人の姿を見た記憶がないほど、静かな浜辺である。きれいに湾曲した、こぢんまりした湾から、地元の人はムーンビーチと呼んでいるらしい。宮古にいくといつも宿泊していたゲストハウスのオーナーからこの浜辺を教えてもらったときも、オーナーは「ムーンビーチ」と呼んでいたはずだ。

このビーチも、どこかの会社の私有地らしく、長年にわたってリゾート建築の予定地になっていたが、実際の施工が行われないので、僕のような部外者でも、その美しい浜で、のんびり過ごすことができたわけである。

湾の奥まった場所に位置しているので、あまり荒れることがなかったような気がする。もちろん、しょっちゅう行っていたわけではないので、なんとも言えないが。それにしても、穏やかで、見晴らしもよく、背後の林も美しかったので、友人たちと、この浜でのんびり過ごすときの「貸し切り感」が強烈だった印象がある。

[写真は、2012年7月9日に撮影。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

2020年09月01日

『孤島の発見』電子化日誌(2)2020年9月1日

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2007年の紙版『孤島』では、「砂山ビーチ」は収録しなかった。今回、追加収録する気になり、作業を進めている。砂山ビーチは、宮古では有名な観光名所なので、ひねくれ者の僕は、あまり好んで訪れることがなかったのだ。

とはいえ、もちろん、砂山ビーチは好きである。ちょっと肩すかしを食らいそうなほど狭い浜辺なのだが、そこがいい。そして、なんといっても、駐車場に車を止めて、すぐ海、といかないところも魅力的だ。駐車場に車を停め、密林のような急な勾配の小道をぐんぐん上っていく。砂丘植物に興味のある人なら、狂喜することまちがいない。「頂上」へ着くと、眼下に砂山ビーチが見渡せる。そして、白砂で足をとられる急勾配の坂を下るのだ。実際、僕は、この密林急坂の登り降りがしたくて砂山へ行っているふしがある。

[写真は、2007年7月10日に撮影。宮古島・砂山ビーチを見おろす山道。2007年の紙版『孤島の発見』には未収録]

★なお、2007年発行の紙版『孤島の発見』、現在、品切れとなっております。


『孤島の発見』電子化日誌(1)2020年8月31日

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夜半、網戸から流れ込んでくる夜気が、ほんのりと冷たかった。ああ、夏が終わったのだと、すこし寂しくなる。すでに立秋が過ぎ、処暑に入っており、ようやく暑さが峠を越したということか。

いま、2007年に出版した宮古島の写真集『孤島の発見』の電子書籍化の編集作業をしている。2007年の紙版は112ページだったが、すでに140ページを超えている。当初は、単なる紙版の電子書籍化だったが、作業をしていくあいだに、欲が出てきたと言うべきか。これでは、「改訂新版」とか「増補改訂版」という注釈を加える必要があるかもしれない。

それにしても、写真というのは、撮ってから時間が経てば経つほど、記憶と同じように、切り取ったある一瞬に、さまざまな思い、情感、郷愁、憧憬、幸福感・・・などが追加されてゆく。いわば、自分が生きた時間への郷愁だ。

写真は、2012年7月9日、撮影。宮古島・砂山海岸へ通じる山道。火照った草の匂いが漂ってきそうだ。2007年の紙版には未収録。