2011年05月24日

読書日記(015)2011年5月23日

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〈片岡義男・1〉


年に一度、とりたてて用事もないのにふいに連絡してくる友人がいるが、
それとまったく同じで、ふと思い出し、片岡義男の本を本棚から抜き出す
ことがある。

きのう、その「ふい」がやってきて、本棚の前に立ったとき、片岡義男の
代表作はいったいなになのだろうとしばし考え込んでしまった。僕は、小
説のタイトルをつけるのが日本でいちばんうまいのは片岡義男だと思って
いるが、では代表作となると、にわかに思い浮かばない。

とりあえず、いいタイトルだなあと思う本を数冊、本棚から引き抜いた。
タイトルだけで、目の前に風景があらわれ、遠くへひろがってゆく。
これから旅へ出ようとしているときのように。

『彼のオートバイ、彼女の島』
『いい旅を、と誰もが言った』
『町からはじめて、旅へ』

そして、本棚のまえで立ったまま拾い読みをしながら驚いた。
文章が、新しい。
いま、出版されたばかりのような文章なのだ。

奥付をみると、『町からはじめて、旅へ』の初版が一九七六年四月三〇日。
三十四年前……。
これはいったいどういうことなのだろう。

たとえば、『町からはじめて、旅へ』のなかの「アタマがカラダを取り戻
すとき」というエッセイに、こんな文章がある。

   開拓時代の西部の荒野に建っていた小屋のような民家を当時のまま
  に復元したものが、アメリカの各地にある。なかに入って、つくづく
  ながめわたすと、その小屋にあるものはすべて、道具なのだ。しっか
  りとした、頑丈そうな、単純で有効性の高い道具ばかりなのだ。

   未開拓の西部、という自然のなかに入りこんできた人間たちにとっ
  て、このような道具類のいっさいが、自然と自分たちとの、動かしが
  たい接点であったわけだ。その道具類を使って文字どおり体を張って
  いくという具体的な意味において、開拓小屋のなかにあるいろんな道
  具は、その小屋にかつて生きた人たちの肉体の一部だったのだ。小屋
  の壁にかけてある道具のひとつひとつから、かつての人々の肉体が、
  生々しくよみがえってくる。

片岡義男の「ことば」とは、まさにここでいう、頑丈な道具そのものなの
ではないかという気がした。ハワイの日系三世で、完璧なバンリンガルと
いわれる片岡義男は、何十年使っても壊れない、堅固なことばだけを使っ
て自分の考えを積み重ねていったのではないか。

彼の文章から立ち現れてくるのは、青春とか、アメリカンカルチャーとい
った表面的なことではなく、英語と日本語というふたつことばを生きるこ
とによって、ふたつの世界の成り立ちをさぐること、つまり、徹底した文
明批評をしていたことに、ぼくはうかつにも、いまになって気づいた。

司馬遼太郎が「この国かたち」を彫りだしていたとしたら、片岡義男は
「この私たちのかたち」を見極めようとしていたのではないだろうか。
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2010年09月01日

読書日記(014)2010年8月31日

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〈8月に買った本〉

『コレラの時代の愛』ガブリエル・ガルシア=マルケス
『小さいおうち』中島京子
『競争の作法 いかに働き、投資するか』齊藤誠
『夜行観覧車』湊かなえ
『装丁を語る。』鈴木成一
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海
『今こそマルクスを読み返す』廣松渉
『悪貨』島田雅彦
『マルクス入門』今村仁司
『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」』池上彰
『風に聞いた話ーー竜宮の記憶』三枝克之
『FUTENMA360°』三枝克之
『恋する男たち』篠田節子ほか
『LOVERSーー恋愛アンソロジー』安達千夏ほか
『I LOVE YOU』伊坂幸太郎
『手塚治虫のオキナワ』本浜秀彦

マルケスの本は、愛読している書評ブログで取り上げられていて、思わず買ってしまった。

英治出版のスタッフが、湊かなえの『告白』がよかったと力説していたので、別の作品を買ってみた。ぼくにはどうもピンとこなかった。考えてみれば(考えなくても)、ぼくは20歳すぎから一人暮らしをしていて、結婚したことがないから、ぼくには、家庭というものの臨場感がよくわからない。『夜行観覧車』が、現代の家庭が抱えている闇を照らしているとしても、家庭すらないぼくには、闇がうらやましい。

中島京子の作品はまだ読んだことがない。以前ぼくが、業界雑誌の編集長をしていたころ、一度だけ、通訳とライティングを引き受けてもらったような記憶がある。たぶんそのときは、フリーランスのライターをしていたと思う。その彼女が直木賞をとったとは。なぜか、すこし嬉しくなる。

マルクスや島田雅彦の本は、千夜千冊の影響だ。先日、友人から「最近、松岡正剛が経済を語ってるぜ」と教えられ、久しぶりにサイトを見たら、なるほど、松岡さんが経済や貨幣について語っており、何冊か買ってみた。

恵比寿からほろ酔いで、終電で帰るとき、ふと、恋愛小説のストーリーが浮かんできた。終電は座れないので、ドア付近によりかかり、窓外の闇の街を眺めているが、マンションや団地などの灯りを見ていると、きわめて感傷的になる。いったい、あの一軒一軒の灯りのもとで、どんな人生模様が流れているのか、ついつい妄想してしまう。そこで、恋愛小説風のストーリーを思い浮かべたしだいだが、恋愛小説をあまり読まないぼくとしては、勉強のために、何冊か仕入れてみた。まだ読んでいないが、篠田節子の短編を読むのを楽しみにしている。

とはいえ、ぼくは、恋愛というより、男と女のあいだにユニークな関係性を切りひらいている片岡義男の恋愛小説が、なんともいえず好きなのだが。でも、片岡義男のラブストーリーは、やっぱり、ふつうの恋愛モノではないと思う。

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2010年03月24日

読書日記(013)2010年3月24日

『ブルーノ・ムナーリの本たち MUNARI I LIBRI 1929-1999』




   著者 ジョルジュ・マッフェイ
   翻訳 瀧下哉代
   発行 2010年2月28日
      ビー・エヌ・エヌ新社
   定価 本体4,800円+税


本を手にとったとき、ずっしりとした重さに驚く。
計ってみたら、1.2キログラムあった。
装幀は、白地に文字だけのシンプルなデザイン。

カバーはなく、ボールの表紙に、袋袖付きのビニールがかかっている。
なんとも、新鮮で、好感あふれるデザインだ。しばらくそのたたずまい
を眺めながら、これはいい本にちがいない、という期待で胸が高鳴る。

本文では、1929年から1990年まで、年代順にムナーリの本が紹介されて
いる。ページを手早く繰っていきながら、ムナーリがつくった本(作品)
を眺めていく。

素敵な本である。
単に、古き良き香りというだけでなく、手触りとしての郷愁、工芸品と
しての完成度、芸術としての斬新な試みなど、いわば本と創造に対する
愛情があふれている。

久しぶりに、ふくよかな香りの本に出会い、幸福なひとときを送ること
ができた。そして、不意に、最近、話題になっている電子ブックのこと
が思い浮かんだ。

デジタルテクノロージーが進化し、本はデジタルデータとして保存され
ようとしている。もちろん、それに対して批判するつもりはない。私自
身、もう十数年も前から、Macと専用ソフトによるDTP、すなわちコン
ピュータによる組版によって出版の仕事をしてきたからだ。

そんななかで、「ムナーリのつくった本」の本を眺めながら、デジタル
は創造の世界を豊かにしてきたのだろうか、という疑問が口をついてで
る。もちろん、自分自身に対して。

本のデザイン、すなわち、カバーデザインという狭義のデザインではな
く、判型、レイアウト、紙材、製本様式、からくり加工など、造本全体
に気を配る意識が自分にどれほどあっただろうか、と。

そう思うと、インターネットや専用端末や携帯で「読める」電子ブック
への疑問もわいていくる。

たしかに、環境保護的観点からいえば、このまま木材=紙を大量に消費
していく現在の紙本のあり方がよいとはいえないだろう。電子ブックな
ら、在庫がいらなくなるし、返品も品切れもない。すぐに購入できるし、
本文の検索も可能、カラー画像もいくらでも収録できる。

しかし、本は、単なる情報のアーカイブとして保管・管理されるだけで
いいのだろうか、という「古い人間」としての執着がまだ僕のなかにあ
る。陽に焼け、酸化して茶色に変色した本が見せる、まるで長い人生を
生き抜いてきた年輪のようなもの。そこに、創造物としての魂が息をひ
そめているのを感じるのは、単なる錯覚なのだろうか。

さて。
恥ずかしながら、ブルーノ・ムナーリというデザイナーの名前を知った
のは初めてである。オンラインで購読しているリブロ発行の「BOOK Door
to Door vol.247」の特集で知ったのだ。これもまた、デジタルのなせる
技だ。

なお、著者のジョルジュ・マッフェイは、美術史家で、本とアートとの
関係を研究しているという。ムナーリの作品のコレクターとして有名で、
ムナーリに関する評論集など多数、編纂している。

ムナーリについては、また改めて、考えてみたい。
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2009年07月25日

読書日記(012)2009年7月25日

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(2009年7月1日 午後3時53分 那覇空港にて)



午後、アマゾンから本がとどく。
カッターナイフで、包装のテープを切りながら、それにしても、
人はなぜ、本など買うのだろうか、と、やくたいもないことが
頭にうかぶ。

人は、物語を探している。

たいして楽しくもないし、面倒なことばかりで、気苦労がたえ
ず、心が浮き立つこともない淡々とした日常の断片のなかで、
なにか、一本、筋の通った物語を求めているのかもしれない。

これを書いている今、BGMで流しているビル・エバンスのア
ルバムから、「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」が
流れてきた。そう、いつか、王子様がやってくる人生なら、日
々の倦怠に堪えられるかもしれない。

妄想はさておき、アマゾンの段ボールから出てきたのは、

 『薄暮』篠田節子
 『1Q84』上下、村上春樹
 『天気のひみつ』ナショナル・ジオグラフィック、立体絵本

だ。

まず、『天気のひみつ』を、開いてみた。
飛び出す絵本の仕掛けで、大いに期待していたが、ちょっと肩
すかしをくらったような気分。まあ、子ども向けの絵本なので、
過剰に期待した自分がよろしくない。

こういうのは、日本人が編集・造本したほうが、実に緻密で繊
細、舌を巻くような本に仕上がるのではないだろうか。とはい
え、企画としては、おもしろい。教育的な意図をもった本は、
往々にして「硬い」ものになりがちだが、楽しんで、刺激を受
けながら読むことができる編集の仕掛けというのは、ますます
大切になってくるのではないかと思った。

知識というのは、学び、頭のなかに格納するものだろうか。そ
れとも、現実にあれこれ試してみながら、筋肉にたたき込むも
のなのか。

篠田節子の『薄暮』は、奥付発行日が今月の1日だから、最新
刊といっていいだろう。少し前に読んだ『仮想儀礼』があまり
に面白かったので、もう一度、あの感動を、ということか。出
だしの数行を読みはじめたが、あっという間に数ページが過ぎ
ていき、あわてて本を閉じる。危ない。

村上春樹は、買うべきかどうか、ぐじぐじと迷っていた。みん
なが右へ行こうとすると、左へ行きたくなる。あっという間に
100万部を突破したということが不思議でならない。ハリーの本
ならわかるが・・・そんなことで躊躇していること自体、自分
の卑小さを証明しているだけだが、まあ、文庫本の小さい活字
で読むより、単行本で読んでおくか、という、あきれた理由に
よって、購入した。

出だしの数行を読みはじめたが、すぐに物語のシーンに入りこ
める。さすがだなあ、と感心する。純文学にとって、可読性が
いいことは、プラス評価とはいえず、場合によってはマイナス
評価にすらなるらしいが、僕は、村上春樹の文章は大好きだ。
とても静か、なのである。

これから篠田節子と村上春樹の小説を読んで、王子様を待って
いる乙女のような心持ちで人生をやり過ごすことができるよう
になるのか、それとも、本を壁に投げつけて、俺はもっと違う
物語を生きるぞ、と息巻くのか、いまから楽しみである。

エバンスのBGMは、「カム・レイン・オア・カム・シャイン」
が流れている。
                      (サンシロウ)
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2009年06月17日

読書日記(011)2009年6月17日

『さびしい文学者の時代  「妄想病」対「躁鬱病」対談』
 埴谷雄高、北杜夫、中公文庫、2009年







深夜、布団のなかで本を読みながら、久々に声を上げて笑って
しまった。それも、何度も。文学者というのものは、実業家な
どとちがって、ある種、きわめて幼稚なところがあるが、この
対談は、幼稚など通り越して、老稚ともいうべき迫力、鬼気迫
るユーモアがあり、大いに感動した。

私が高校生のとき読んだ埴谷雄高の印象は、ペシミスティック
でありながら、広大な宇宙の静謐さを感じさせてくれる作家だ
った。そんな作家が老境に達し、志ん生を思わせる話術の巧み
さを披露し、とめどなくしゃべりつづける姿は、この世のもの
とは思えず、圧巻としかいいようがない。

鬱病のせいで原稿が進まない北杜夫が、埴谷の遅筆を指摘しな
がら、

北 (中略)二月三月と、まだ七枚しか書いていないんです。
これは、埴谷さんよりも怠け者じゃないですか。
埴谷 いや、ぼくよりも君のほうが勤勉ですよ。七枚、書いた
から。ぼくは、このあいだ「群像」の担当者にやっと一週間ば
かり前に渡したんですよ。
北 何枚ぐらい・・・。
埴谷 七章の冒頭の頭だけ渡した。一枚なんです。

思わず、担当編集者の身になって、空を、いや、暗い深夜の天
井を見あげてしまう。

あるいは、北杜夫がラーメン好きなことに触れて、

北 ぼく、そこらのレストランに行くより、ラーメンのほうが
好きですね。
埴谷 ああ、そう。まあ、即席ラーメンが一番つくりやすいん
だな。
北 ええ、即席ラーメンもいろいろあって、生ラーメンという
のがあるんです。これにちょっと、具を入れて。やっぱり焼き
豚とシナ竹を入れて。
埴谷 焼き豚、シナ竹まであるんですか。それはりっぱだ。
北 いや、入ってはいないけど、自家製で。
埴谷 あ、買ってきて。
北 はい。ネギも入れて。これは、相当高級な料理ですね。
埴谷 そうでしょうね。焼き豚とシナ竹とネギが入っちゃ(笑)。
それは自分でやるんですか。
北 いや、昔、夜中に自分でつくって食べてたんです。鬱病の
とき、夜中になると腹減ってくるから。
埴谷 そら、起きてりゃ腹減りますよ(笑)。鬱病で腹減るん
じゃないですよ、あなた。

おいおい、いったいなんの対談なんだ。と突っ込みを入れつつ、
ラーメンかあ、俺も腹減ってきたなあ、などと考えている自分
がとんまである。

などと紹介してきたが、もちろん本書は、そんな世間話だけで
はなく、メインは、真摯な文学談義である。想像あるいは創造
へのさまざまなヒントが至る所にちりばめられていて、実に興
味深い。たとえば、

埴谷 (中略)とにかくこの宇宙のなかの生物についての認識
を一歩でも深めるということしかないでしょうね。人間が現在
の人間になった過誤をどうただすかということをまず生物史的
に見直して、それから自然と人間というふうに視野を移してゆ
かねばならない。ところが、ぼく達人間は人間だけしか見てい
ないんですよ。人間の歴史は人間殺しの歴史で、どこの帝王が
他のどこの王様をやっつけたとか述べているばかりで、その帝
王もそれに従って死んでいった兵士も、毎日どんな生きものを
殺して食べていたかには触れていない。他の生物の完全な蔑視
ですね。(中略)ぼくは、生物殺し、植物殺しの人類を弾劾し
てやろうと思っていますから、勿論、この人間殺しの人間をも、
生涯弾劾しつづけるつもりだが、それにしても、『死霊』の七
章がまだ一枚とは、自分ながら情けないですね。

埴谷が、餓死教団とも言われるジャイナ教に心酔していた理由
の一端がうかがわれる。

北杜夫は、鬱病期間のせいか発言は控えめで、ほとんど埴谷雄
高が自動発話マシンのような勢いでしゃべりつづけているのだ
が、埴谷文学の意図が、わかりやすく語られているように思う。
老人というものの力を見直したしだい。

この夏あたり、八ヶ岳の山小屋にでも1週間ほど逗留し、じっ
くりと『死霊』を読み直してみたくなった。

本書の対談が行われたのは1982年3月ということで、すでに27
年の歳月が流れているのだが、まるで昨日おこなわれた対談の
ように思えるのは、私もまた年老いたということなのだろうか。

余談だが、本書を読むときには、まずこの座談会を企画した、
当時「海」の編集長だった宮田毬栄氏の「解説」を読み、埴谷
雄高と北杜夫の「あとがき」に目を通してから本文を読むこと
をお勧めしたい。
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2009年04月22日

読書日記(010)2009年4月22日

『作家の家 創作の現場を訪ねて』
文:F・プレモリ=ドルーレ、写真:E・レナード、鹿島茂監訳、博多かおる訳、西村書店、2009年





文字通り、有名な作家の「家」の写真を多数収録した本である。
さらに、その家にまつわる作家のエピソードが文章でつづられ
ている。原本は、フランスで発行されたものだ。

収録している作家(の家)は、プロローグのデュラスを皮切り
に、ジャン・コクトー、ダヌンツィオ、フォークナー、ヘミン
グウェイ、ヘッセ、ディラン・トーマス、マーク・トゥエイン、
ヴァージニア・ウルフ、イェイツ、ユルスナールほか、全部で
21人。上記以外の作家は、浅学な私には知らない名前だった。
いやはや、作家といっても、たくさんいるもんだなあ、と妙な
ところで感心している。

この本は、たしか朝日新聞の日曜読書欄で村山由佳が紹介して
いて、興味をそそられて買ったものだ。本が届いてから、ぱら
ぱらと写真を眺め、その立派な住まいの数々に、さすが、一流
の作家の住まいは、ちがうなあ、とあまりに直截な感想を持っ
た。が、指先に刺さったちいさなトゲのように、どこかに、か
すかな違和感を抱いている。とにかく、写真だけ眺めて、本棚
に戻した。

数日前、あらためて本をとりだし、いくつかの作家の紹介を、
じっくりと読んでみた。写真を見ただけの印象とは大違いで、
その家で作家がどんな暮らしをしていたのか、大いに想像をか
きたてられた。文章を読んだあとでは、家の写真もまた、ちが
った見え方をしてくるから不思議だ。

収録されているアルベルト・モラヴィアという作家の名前は初
耳だったが、その記事のサブタイトルが「小説世界と女性の飽
くなき探求者」となっていて、思わず興味を引かれて文章を読
みはじめると、止まらなくなった。

作家のモラヴィアは、「ローマから車で1時間南に行ったとこ
ろに帯状に広がる土地」、「コートジボワールの沿岸地帯のよ
う」な「燃えるような落日を望む白い海岸」をいたく気に入り、
友人で詩人のパゾリーニとともに、土地を手に入れ、家をたて
た。

それも、「過去には興味がない」モラヴィアは、ほとんど装飾
品を置かず、機能的で、シンプルな家をつくった。あるのは本
ばかり。その家のテラスときたら、「砂丘よりも少し高いとこ
ろにあって、海に向かっ」て張りだしているような形で、私は
100回ほど、ため息をつきながら眺めていた。

ぜんぜん違うが、私が以前、久米島で遭遇した、こんなイメー
ジを想い出させてくれた。


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作家には、孤独が必需品だ。冒頭、デュラスはこう語っている。
「家にいる時、人はひとりになれる。それも、家の外ではなく、
家の中にいる時に。庭には、鳥や猫がいるから」「孤独という
のは、探しだすものではない。つくってゆくものだ」

そう、この本のなかには、徹底して、作家の環境が垣間見れる。
彼らはいかにして、孤独を確保したか、という。その決意が、
作家の住まいから、自然と漂ってくる。

さて。

ページを繰りながら、私は、最初にこの本を開いたときの違和
感の消息に合点した。それは、西洋、という、あり方について
だ。明治以降、日本は、まず、ヨーロッパを模範とし、その文
化、というより、文明を吸収することにやっきになった。やが
て、二度の大戦を終えると、今度は、アメリカという文明を追
いかけるようになる。

私たちは、暮らしのレベルで、ヨーロッパやアメリカを体験し
たわけではない。テレビや映画、電気製品や自動車、それらが
収まっている「家」の姿を、追い求めた。

この本に対する違和感、それは、家というものの物質感、ある
いは歴史性にあるのではないか。ふと、そんな気がした。あく
まで、合理的に自然を支配していく西洋の自然征服欲、それが、
家のたたずまいのなかにも如実に表れている。

ヴィーンのシェーンブルン宮殿の美しさはなにか。すべてが人
為的で、幾何学的美しさにあふれ、シンメトリーにデザインさ
れた庭園が、息をのむ景観を呈している。

だが、東洋人にとっては、息をのんだまま、はき出せない。息
苦しいのだ。計算され尽くしたたたずまいに、私は、なじめな
い。

それに対して、日本の郊外にある里山の美しさは、いや、安ら
かさは、どうだろう。人為を排し、自然の流れのなかにひっそ
りと寄りそう静けさ。風景のなかに屹立しているのではなく、
溶けこんでいる。

そう、この写真集を読んでいて思ったのは、西洋人のもってい
る形而上学的ともいえる合理性の世界観である。日本との違い
が、画然と伝わってくる。

吉田兼好にしても、良寛にしても、子規にしても、決して、こ
の本で紹介されているような家にはすまないのではないか。そ
の落差に、ささやかな違和感を抱いたわけだ。

ともあれ、いい本である。何百ページもある伝記を読むより、
ヘミングウェイやフォークナーやヘッセが暮らした家を見るこ
とで、彼らが暮らした空間のまえに、自分も立っているような
錯覚におそわれる。ご一読をお勧めしたい。

ねがわくば、同じテーマの、日本の作家の家をレポートした本
があればいいと思う。だが、そんな家は、残っていないんだろ
うな、とも思う。そこが、日本のいいところでもあり、湿度と
四季あふるる諸行無常の国の文化なのではないかと、ひとり、
合点したしだい。
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2009年04月19日

読書日記(009)2009年4月19日

『Gift』市橋織江(写真)



先日、写真家の和田剛さんから勧められて買った本が届いた。

ページをめくるたびに、ため息がもれる。

特にテーマはないようで、国内外をふくめて、
さまざまな場所で、さまざまな被写体を撮った作品集だ。

東京ドームがあるかと思えば、金閣寺、富士五湖、
アイスランドの少女がバイオリンを弾いている写真、
花、動物、牧場の羊、ブラジルのレンソイス公園、
セネガルのキリン・・・。

僕にとってはほとんど興味がない被写体なのに、
写真から目が離れない。魅入ってしまう。
これは、いったい、どういうことなんだろうか、
と迷路に足をふみいれた気分だ。

もっとも惹かれたのは、その色合いだと思う。

くっきりとしているのに、ぼんやりとしている。
鮮やかなのに、淡い。
硬質なのに、やわらかい。
ひっそりしているのに、元気がみなぎっている。

この写真は、いまひとつわからないな、あまり好きではないな、
というのが1枚もないことに気づいて、さらに驚く。

世界がこんなにも穏やかで、暖かく、豊かなのに、
人間はいったい何をしているのだろう、
などという懸念もわいてくる。

ふと、思う。

世界がこんなにも美しいことを、僕らは日々、
忘れていやしないだろうか。

そんなあなたに、ささやかですけど、
ちょっとした贈り物をします。

Giftというタイトルに、もし、そういう想いが
こめられているとしたら、この写真集は、
たしかに最高の贈り物だ。

すばらしい写真集だと思う。
誰かに、贈りたくなってしまった。
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2009年04月17日

読書日記(008)2009年4月16日

『仮想儀礼』篠田節子著

  


このところ、おもしろい小説にめぐりあえて、幸せをかみしめ
ている。というのは、ちと、おおげさか。

夜、布団にはいって、毎晩、ちょっとだけ読もうと思って取り
かかった本だ。ところが、アメリカのTVドラマ「24」のような
状態にはまりこんだ。「あと1章だけ、読むか・・・」

かくして、夜が白みはじめるころ、仕方なく本を閉じるという
事態に陥った。結局、上下巻合わせて1000ページほどの本を、
二晩で読み終える。遅読の私としては、めずらしいことである。


都庁のエリートコースを歩んでいた男が、副業のゲーム・スト
ーリー制作に入れ込んで詐欺にあい、職場を去り、あげくに妻
に逃げられ、悶々としているところに、自分をだましたプロデ
ューサーの男と再開したところから物語は始まる。

人生を棒にふった二人の男は、ひょんなことから、新興宗教を
興して金儲けをたくらむ。「信者が30人いれば、食っていける。
500人いれば、ベンツに乗れるぞ」と盛り上がる。

とはいえ、ストーリーは、思いのほか地味な展開で進んでいく
が、それが妙にリアリティを醸し出している。

そういえば、オウムや麻原は、その後、どうなっているのだろ
うか。などと、ふと思いつつ、社会に適応できない、困った人
たちが次から次へと登場する。そのあたり、閉塞する社会状況
のなかで、宗教の果たす機能について、大いに考えさせられる。

結婚するときはイエス様の前で永遠の愛を誓い、親が死ねば地
元のお寺で供養し、商売繁盛のためには神社で柏手を打つ現在
の優柔な日本人にとって、宗教とは、いったい、なになのか。

世直しや人助けは、NPOや社会起業家の専門分野に移行して
しまったのだろうか。まっとうな社会、まっとうな生き方とい
うものが、果たしてあるのだろうか、と。

そういえば、この本にのめり込んだ感覚と似たようなものを探
すと、2冊の本が浮かびあがる。
1冊は、高橋和己の『邪宗門』。
もう1冊は、五木寛之の『風の王国』。

だが、この2つの作品は、世直しという理念が、最終的には既
存の体制・社会とぶつからざるをえない、いわゆる歴史的・思
想的な構造を浮き彫りにしている。

ところが、『仮想儀礼』は、徹底的に下世話な物語だ。神をた
いして信じてもいない男たちが、おいしい商売として教団を運
営していくのだ。いってみれば、冷めた考え、常識の範囲でし
かものごとを考えない連中のドタバタ劇のようにも見える。

しかし、それゆえにこそ、一抹の信憑性が感じられる。常識と
いうものが、いかにまっとうなものなのか。いや、常識という
と誤解をまねくかもしれない。デカルトが言った「良識」とい
う言い方のほうがいいかもしれない。

主人公は、狂信的な思想なり信仰などもたず、ひたすら良識を
もとに行動していく。そこから見えてくるのは、良識が失われ
た世間であり、多くの人であり、社会である。主人公たちは、
トリックスターとして動き回ることで、読者の固定観念を相対
化して見せてくれるのだ。

世間には、一生、とりたてて名ものこさず、ひっそりと地味に
生きて死んでいく無名の人がおおぜいいる。そういう人たちが
きちんと身につけている良識の総体によって、実は社会という
ものが成り立っているのではないか、などとも思う。

結末には、ある種の爽やかさ、というか、明るさを感じた。な
にか大それた思想を信じるまえに、自分の良識というものを信
じてみるのも悪くないな、と思わせてくれる。

恥ずかしながら、篠田節子の作品を読んだのは初めてで、1997
年、『女たちのジハード』で直木賞を受賞している。
ご一読をお勧めする。
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2009年04月15日

読書日記(007)2009年4月15日

『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著




ずっと読めずにいたアーサー・C・クラークの『幼年期の終わ
り』を読了。衝撃を受ける。

物語は、地球の各都市の上空に、巨大な宇宙船がやってきて待
機するところから始まる。姿を見せない異星人オーヴァーロー
ド(最高君主)は、人類をどこへ導こうとしているのか・・・。

私たちは、日々、つましい暮らしを送っているが、それでも、
さまざまな問題に取り囲まれている。介護や高齢化社会、教育
問題、非正規雇用、賃金格差など、もりだくさんだ。

しかし、問題はそれだけにとどまらず、世界に視界をうつすと、
終わりなき民族紛争、軍事衝突やテロ、環境破壊、貧困と格差
の激化、世界金融の暴走など、あきれるばかりの混乱だ。

なんとか一つの問題を解決すれば、そのことで、さらに多くの
問題を引き寄せ、混沌はふかまるばかりのように見える。おま
けに、人類は基本的に、「人間のことしか考えていない」。だ
れも、ひぐらしやニシンや菜の花や原生林のことなど考えてい
ない。人類は、いまだ幼稚な存在のままで、大いなる調和を生
み出せないでいる・・・。

我々が日々抱える、そうした問題に、外部から「ある」解決方
法が示される。それも、人類以外の存在から。人類より、はる
かに高度な知能と文明の力をもった存在から。

それにしても、現実の世界は、幼年期を脱するどころか、ます
ます幼稚になっていくように見える。いったい、この星に未来
はあるのだろうか、いや、そもそも、人類は愚昧な存在でしか
ないのか、などと悲観しつつ、この本を読むと、大いなる啓示
を受けるかもしれない。

・・・などと、『幼年期の終わり』を読みながら妄想にふけっ
てしまったわけだが、それだけなら、まだ傷はそれほど深くは
ないかもしれない。

私が衝撃を受けたのは、文学のテーマについてである。人が生
きる目的は何か。『幼年期の終わり』を読むと、その再検討を
迫られているのではないかと思ってしまった。

このSF小説が決定的に深く困難な問題を突きつけてくるのは
「文学」も「人生」もしょせん、「人間の世界の問題にすぎな
い」ということを気づかせてくれるからだ。

そう、『幼年期の終わり』は、地球という星で鎖国(鎖球とい
うべきか)している人類の姿を浮き彫りにする。

人類が人類だけの問題に右往左往している姿のもっと外側、宇
宙全体が存在することの意味はいったい何なのかを、問いかけ
ているのだ。壮大な問いである。壮大ならいいのか、というこ
とはともかく、宇宙史というものがあるとすれば、そのなかの
人類史など、刹那ほどの長さもないだろう。

広大無辺な宇宙の片隅で日々をおくる人類が、宇宙的視野の存
在論を持ちうるのかどうか。

ここでわれわれが思いいたるのは、存在論なのだ。
森の奥で、かすかにシダを揺らした風が、宇宙の果て、膨張を
つづける境界の縁で、どのように吹きわたっているのか、それ
を書かなければならない。
それが、想像力をさずかった人間の仕事ではないか。

なにやら、埴谷雄高の世界にはまりこんだ気分だ。漆黒の闇の
なかで黒い馬の尻尾を握りしめ、はるか宇宙のかなたに飛翔し
ながら、われわれは宇宙の真の姿、その意思を感得できるのだ
ろうか。あるいは、人類の存在など、迷妄以外のなにものでも
ないと、ため息をつくのだろうか。

それは、自分で「つきとめて」いくしかないようだ。

とはいえ、久しぶりに、「お勉強」のためではなく、愉しい読
書の時間をすごせたのは、おおいに収穫だった。小説は、やっ
ぱり、夜の更けるのも忘れて、のめり込むのが一番。

ちなみに、『幼年期の終わり』が出版されたのは、1953(昭和
28)年だが、少しも古さを感じさせない(光文社古典新訳文庫
の訳者のおかげかもしれない)。ようやく私は、クラーク、ア
シモフ、ハインラインという、50年代のSF黄金時代の御三家
が大好きなのだということに気づいた。
                        (和田文夫)
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2009年04月01日

読書日記(006)2009年3月31日

『6:30am』を読んで




衝動買い写真集の第3弾は、『6:30am』(ローベルト・
ヴァインガルテン著、hatje cantz発行、2005年)である。

先日、写真家の友人・和田剛さんから、メールをもらった。

 「ある写真家が、自宅のバルコニーから定点観測で撮影した
  海と空の写真集があります。デザイナーの家で見て、気に
  なったので、情報を送ります。ちょうど和田さんが逗子海
  岸で定点観測をやっているのを思い出したものですから。
  値段がちょっと高いけど」

調べてみたら、たしかに高い。でも、すぐにアマゾンで注文し
た。5,000円を超えている。ま、洋書だから仕方ないか。

2003年から折りに触れて、自宅から歩いて5分ほどの逗子海岸
の写真を撮ってきた。とくに下心はなかった。単純に、きれい
だから撮る。それだけだった。でも、2007年、急に思い立ち、
宮古島の写真集『孤島の発見』の出版を企画し、その編集作業
を通して、写真集をつくる楽しさに、はまってしまった。

逗子海岸から眺めた雲と空と海の写真集をつくってみたいと思
いはじめた。が、楽しい悩みというか、どんな写真集にするか、
いまだに迷いつづけている。1年365日の写真を掲載するか、
文章を添えるべきか、どんな用紙を使うか、判型は? 製本様
式は? ・・・・・

そんなとき、和田剛さんから教えてもらったローベルト・ヴァ
インガルテンの『6:30am』が届き、じっくりとページを
繰ることができたのである。

判型は、28.8×28.8センチの正方形(スクエア)。日本の規格
でいうと、A3変型判になるのだろうか。本文120ページ。ハ
ードカバーで、表紙は布貼り、丁寧に製本された立派な本であ
る。

プロの写真家が、自宅のベランダから、対岸にあるサンフラン
シスコの遠景を、同じ場所、しかも同じ時間(午前6時30分)
に撮ったものだ。2003年に撮った写真が多い。

ほれぼれする写真集だ。日々、二度と繰り返されることのない
海と空と雲が、まったく同じ位置から撮影されている。

面白いのは、対岸がまったく見えず、ページ全体が青みがかっ
たグレー一色で覆われたページだ。うなる。定点観測ならでは
の、つまり、晴れわたったときの風景が読者にもわかっている
から、味わえる写真だ。

自然が、いかに複雑な色をつくりあげるか、瞬時に理解・堪能・
驚ける。そして、思わぬ想像が広がっていく。この写真家の日
々についてだ。二日酔いで、ベランダでコーヒーを飲むことも
あれば、爽快な目覚めで、オレンジジュースを飲んでいるかも
しれない。仕事に疲れていたり、気力が充実していたり、そん
な暮らしを、ふと、妄想してしまう。

写真に言葉がつかないということは、読者にとってみれば、写
真の可能性を大きく広げるにちがいない。たしかに。同じ空を
見て、悲しい空、不気味な空、あでやかな空、楽しい空、爽快
な空・・・などと感じるのは、観る人の心しだいだろう。

おなじ場所で、同じ時間に写真を撮るというアイデアは、だれ
もが考えつくものだし、とりたてて目新しいものではない。
だが、と思う。
大切なのは、そこに居合わせることであり、ひたすら、じっと
見つめることであり、つねに何かを発見していくことではない
のかと。
そう、僕らは、風景を見ているのではなく、風景に見られてい
るのである。あなたが見ているとき、私はそこにあり、あなた
が見ていなければ、私はそこにいない・・・そんなふうに、さ
とされているような気持ちになる。

僕としては、大いに励まされた気分だ。そして、なによりも、
さらなる精進を課されていることに気づき、思わず、姿勢をた
だした次第。とても素敵な写真集である。

さて、この写真集のイメージに添った写真はどんなものだろう
か。いつもこのブログに掲載している逗子海岸の写真をのせる
のも芸がないので、『6:30am』のイメージとはちがうか
もしれないが、1枚、のせておく。

2008年4月22日、宮古島の東平安名崎で撮った写真だ。
                        (和田文夫)


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2009年03月23日

読書日記(005)2009年3月23日


『梶井照陰写真集/NAMI』を読んで




衝動買い写真集の第2弾は、『梶井照陰写真集/NAMI』(梶井
照陰著、フォイル発行、2007年)である。

とにかく、すごい! のひとことである。なんのひねりもない
感想でお恥ずかしいが、ページを繰りながら、実際、ぽつりと
呟いたことばではある。

ひたすら、波をアップでとらえた写真がつづく。A3変型判だ
ろうか、左右の見開きが760ミリ、天地250ミリの横長変型だ。
著者が何を表現したいのか、などという思惑はみじんも感じら
れない。ページをめくる人間は、ただひたすら、眼前の波頭を
じっとみつめるほかない。現場で、写真家が見ている波をその
かたわらで、息を殺して注視しているといった事態におかれる。

著者のプロフィールを見る。「高野山大学密教学科を卒業して、
佐渡島で真言宗の僧侶をしている」というくだりを読んで、妙
に納得している自分がいる。

佐渡。何度か、日本海の沿岸をオートバイで旅した記憶が蘇る。
鉛色の雲、どっしりと押し寄せる波。なにもかも、太平洋岸と
は密度というか、質量のちがう世界が広がる。

真言宗については、ほとんど知らない。だが、そう言われると、
この写真集の激しく暗くうねる波間から、マントラの呪文が聞
こえてくるような気もする。

写真の表現について、考えさせられる。
どう撮るか。文章でいえば、どう書くか、だ。そこには、経験
すなわち生き様や、その人のもつ独自の技術が滲みでてくる。
文章でいえば文体、写真でいえば、写体、というべきだろうか。
きわめて重要なその要素は、しかし、この写真集を見ていると、
どうも二の次のように思えて仕方ない。

何を撮るか。つまりは、そちらのほうに気が向いてしまう。自
然がおりなす無作為のふるまい、意図しない意図、自由闊達に
ふるまう自由さ、全体と部分のゆるぎないつながり・・・そん
なものが、ふと、見える気がする。どんなに混沌と乱れている
ときでも、そのなかにしっとりとした調和が保たれている事態
に驚きを覚えるのだ。波も、この星の生命の一部にちがいない
という事実をつきつけられる。

この写真集には、波が撮られているだけだ。だが、決して私た
ちが目にしない、波の摂理といったものが垣間見える。すぐれ
た写真家というのものは、徹頭徹尾、見つめる人なのだという
ことを改めて教えてくれる。

この現代に生きる私たちは、忙しく、情報に追いまくられ、日
々、何も見ていない。だが、もし、本当のあり方を何も見てい
ないとしたら、わたしたちは自分の所在がわかっていないこと
になるのではないか。

ふと、デイヴィッド・ソローがこの写真集を見たら、どんな感
想をもらすか、他愛のない妄想をして、笑みがこぼれた。

さて、まことにおこがましいばかりだが、自分が撮った写真の
なかから、この写真集の雰囲気をわずかでも伝えられるものを
探してみたが、当然のことながら、そんなものは見あたらない。
が、顰蹙を恐れず、1枚だけ、載せてみることにする。2006年
に、台風が接近している沖縄・宮古島のイムギャー近くで撮っ
た写真である。
                       (和田文夫)


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2009年03月08日

読書日記(004)2009年3月8日

津田直『SMOKE LINE』を読んで

先日、ブックファースト銀座コア店で、写真集を衝動買いした
ことを書いた。十年ほど前、私が「プロの写真家と広告クリエ
イター向けの業界紙」の編集に携わっていたとき、写真集の紹
介記事なども掲載していた。当時、写真集は、「重い、大きい、
高い」という性質が災いして、売上が伸び悩み、業界的には
「軽い、小さい、安い」という形に変化しつつあった。たしか
に、軽薄短小という形は、マスセールを目指すには必要な要素
にちがいないとは思った。

だが、今回、私が買った写真集は、おおむねどれも、重くて、
大きくて、高い。
そう、その写真集に惚れ込んだ者にとって、形や価格など、ど
うでもいいことなのだ、という当たり前のことに、いまごろ気
づいた。我ながら、情けない話である。大きいから買わない、
高いから買わない、というのは、しょせん、その作品を、しん
そこ欲しいとは思っていないということだろう。

私が買った写真集の1冊は、『SMOKE LINE』(津田直、赤々
舎、2008年)だ。この本は、左右370ミリ、天地297ミリ、すな
わちA3変型版で、定価(税込)が5,250円。まあ、たしかに、
大きくて高い。前言をすぐさまひるがえしてお恥ずかしいかぎ
りだが、衝動買いでなければ、躊躇したかもしれない。



だが、家に持ちかえり、後日、あらためてじっくり読むと、そ
の素晴らしさが身に染みる。ああ、実際に、こんな風景に出会
ったら、どれほどため息がでることだろう、と。もちろん、だ
れもがそう感じるとは思わない。どんなに優れた評価を受けた
写真集でも、それを見ている自分が好きでなければ、意味がな
いのだ。

どちらかというと、私はポートレイトやドキュメンタリー写真、
動物写真などが苦手である。いや、苦手というより、よくわか
らない。単に、風景写真だけに惹かれる。

なぜ風景写真だけが好きなのか、自分でもよくわからない。少
なくとも、作為を気にしなくていいという理由には納得できる。
自然は、かりに作為的に何かをしても、それは「自然」と呼ば
れるにすぎない。自然は、レンズを向けられても、何かを意識
したりはしないだろう。

もちろん、撮るという行為には、作為が忍び込んでいるはずだ。
だが、芸術において、作為というのは、表現にほかならないだ
ろう。そして、表現が背景に消え去れば去るほど、見る者は無
意識に、その表現の意図のなかに深く入りこんでいく。

まあ、屁理屈はともかく、敬虔な気持ちになれる写真集だ。
見開きにパノラマ風に展開する風景写真。大地や海は、画面の
5分の1ほどの割合で、下側におかれ、ページ全体を埋めつく
すのは、ほとんどモノトーンに近い、たとえば、乳白色だけの
空だったり、霧がたちこめる空間だけだったりする。

風を追いかけながら、中国、モロッコ、モンゴルを旅する写真
家・津田直が、風を追い求め、とらえた写真、ということらし
い。

だが、私には、風が見えなかった。
もちろん、そんなことは問題ではないし、この写真集の価値を
低めるわけでもない。それどころか、風というものが、本来、
どんな姿をしているのか、再考をうながしてくれる。

では、何が見えたのか。
現代に生きる我々の時間感覚とはちがう、自然が時をきざむ、
そのきざみかたが見えるような気がしたのだ。
我々は、太古のむかし、自然と歩調をあわせて時をきざみ、そ
のふところで歌を歌い、日を拝み、微笑みを交わしていたので
はなかったのだろうか。
そのありさまが、乳白色だけにおおわれた空のなかに、浮かん
でいるような気がする。

これまで見たことのない、それでいて、きわめて懐かしい記憶、
という事態に、見る者を連れていってくれる。人類という破壊
者が文明という武器をたずさえて跋扈する前の、静かな、ある
いは、おそれおおい世界。

ときには、そんな世界に遊んでみることも必要だ。
自分がいま置かれた場所を考えてみるためにも。
興味のある方は、ぜひ手にとってごらんいただければと思う。

さて、この写真集の本文画像を紹介したいところだが、著作権
を尊重すべきだし、写真集は紙に印刷されたもので味わうべき
だと痛感する。
そこで、おこがましい話だが、私の写真で、私が感じた雰囲気
をお伝えしてみようと思う。あくまで冗談だと思っていただけ
れば幸いである。
(和田文夫)


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(2006年6月24日 久米島にて撮影)
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2006年03月29日

読書日記 003 伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」

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オーデュボンの祈り

伊坂幸太郎、新潮文庫、2003年(単行本2000年12月)


このところ、伊坂幸太郎に熱中している。
たぶん、波長があうのだろう。
もちろん、かなりの注目を集めていることは、たしかだ。

もし、伊坂幸太郎を読んでみようと思う人がいたら、まずこの「オーデュボンの祈り」から読むことをお勧めしたい。

実は、伊坂の作品群は、相互にリンクしている。たとえば、Aの作品の登場人物が、Bの作品にちらりと出てきたり、Aの作品のストーリーが、Cの作品で話題になったりする。

伊坂自身、「実際、今までの短編と長編はすべてつながっているんですよ」と語っている。
(「このミステリがすごい! 2004年版)


発行順に読まないと、その仕掛けに「にやり」とできないのだ。これは、読者サービスのように思えるが、作家にとっては、一つの作品世界の奥行きを広げる手法にもなり、また、「作品を最初から読ませる」戦略ともなる。

私は、最初に「魔王」、つぎに「死神の精度」という順に読みはじめてしまい、失敗に気づいた。ちなみに、私の手元にある作品を、発行順に並べてみよう。

 オーデュボンの祈り     2000年12月
 ラッシュライフ       2002年 7月
 陽気なギャングが地球を回す 2003年 2月
 重力ピエロ         2003年 4月
 アヒルと鴨のコインロッカー 2003年11月
 チルドレン         2005年 5月
 死神の精度         2005年 6月
 魔王            2005年10月

もちろん、どの作品から読もうとそんなことは読者の勝手だし、各作品は単独で十分楽しめるので、わけしり顔で忠告するつもりはないが、最初に読むなら、やはり「オーデュボンの祈り」だろう。

さて、伊坂幸太郎のおもしろさとは、なんだろう。

一つは、構成の緻密さであり、
一つは、舞台設定(世界観)の新奇さで、
一つは、魅力的な文章、だろう。

文庫版「オーデュボンの祈り」の表4(カバーウラ)のストーリー紹介は、以下のようになっている。

「コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている『荻島』には、妙な人間ばかりが住んでいる。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無惨にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?」

まるでリアリティのない、ふざけた話だ。
バカらしくて、読む気も起こらないだろう。
だが、1ページめの書き出し

「胸の谷間にライターをはさんだバニーガールを追いかけているうちに、見知らぬ国へたどり着く、そんな夢を見ていた。悪い夢ではなかった。何よりも、城山が出てこなかった。」

を読みはじめると、吸い寄せられるように、読み手は作品世界に没入してしまう。語り手である主人公は、あくまで、読者と同じ世界に生きている人間として描かれる。彼は、どちらかといえば、どこにでもいる、おとなしく、品のいい「ややふつう」の青年だ。

尋常でないのは、その「ややふつう」の人間が踏み込んでしまった奇妙奇天烈な世界のほうだ。そのにわかに信じがたい世界で、しかし、「ややふつう」の人間は、とまどいながらも、それを受け入れ、したたかに生き抜いていく。

たしかに、物語の体裁はミステリ仕掛けになっているが、ここには、物語が本来もっている「新奇さ」にあふれている。主人公は、純文学の世界のように、意識を内面へは向かわせない。自分をいかに掘り下げても、世界は変わらないからだ。しゃべるカカシは、主人公がいかなる論理的思考を働かせても、しゃべることにかわりはないからだ。そこで主人公は、世界の謎を解こうとして、行動を起こしていく。

余談だが、私は、この書き出しの「城山」という名前を見て、にやりと笑ってしまった。フランツ・カフカの小説「城」の書き出しは、こんな文章ではじまる。

「Kが到着したのは、夜もふけてからであった。村は、深い雪に埋もれていた。城山は少しも見えず、霧と闇が山を包んで、大きな城のあることを示すほんの微かな燈火さえも見えなかった。」
(カフカ全集 第1巻「城」辻ひかる、中野孝次、
萩原芳昭訳、新潮社、1953年)

おそらく何の関連性もないだろうが、この「城山」の奇妙な一致、何かの間違いとしか思えない世界に足を踏み込んでしまったKの困惑が、「オーデュボンの祈り」の主人公と似ているように感じたのである。

さて、伊坂幸太郎の登場人物たちに共通するものは何だろうか。

一つは、ユーモアであり、
一つは、人としての品位であり、
一つは、世界を見つめるふつうの良識、ではないだろうか。

われわれはいま、騒々しい、たんなる馬鹿笑いをするための低次元の笑いしか持っていない。なんの機智も持ち合わせず、人を勇気づけるのではなく、人間の品位を落とし込めるような幼稚な笑いばかりがまかり通っている。

一方で、深刻な問題は深刻な顔をして、ヒステリックに嘆いたり、怒りをあらわにして正義を叫んだりする。要するに、わたしたちは、日々、垂れ流されつづけるテレビの感受性を身にまとっているだけなのだ。
  
「今の人類は、進化の方向を間違えてしまったのではないか。もとのままの「下等」な動物でいたほうが、もっと楽に生きられ、楽に死ねたかもしれない。地球をここまで追いつめることもなかったでしょう。残忍でウソツキで、嫉妬深く、他人を信用せず、浮気者で派手好きで、同じ仲間なのに虐殺し合うーー醜い動物です。しかし、それでもなお、やはり、ぼくは人間がいとおしい。生きる物すべてがいとおしい」
(「ガラスの地球を救え」手塚治虫著、光文社、知恵の森文庫)

と、手塚治虫は語っているが、

「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」
(「重力ピエロ」伊坂幸太郎)

と語る伊坂の主人公たちが、手塚の生み出した主人公たちの姿に重なると感じているのは、私の思いすごしだろうか。

伊坂幸太郎は、いちおうミステリのジャンルに分類されるようだ。実際、わたしはその名前を「このミステリがすごい! 2004年版」で知った。しかし、彼の作品世界は、どうもミステリのワクに収まらない。

いや、そもそも、ミステリとか、SFとか、純文学とか、何を意味する分類方法なのだろうか。

先日、酒場で知人と同席し、小説についての話題になった。ちなみに彼は、大藪春彦のファンで、また、最近のアメリカTVドラマ「24」のファンでもあり、意気投合してしまった次第。
彼いわく。

「それにしても、小説のジャンルって、よくわかりませんよね。たとえば、何が純文学で、何が純文学でないのか。夏目漱石の「我が輩は猫である」なんて、SFじゃないですか」

愕然とした。言われてみれば、その通りだ。わたしたちは、文豪・夏目漱石先生の文学作品を拝読するというより、「こりゃ、おもしれえや」と感じながら、「坊っちゃん」や「猫」を読んでいたのではなかったか。

うーむ。編集者の端くれとして、小説家の端の端の端くれとして、わたしは自分の無知に背中をどやしつけられた気がする。D・R・クーンツの指摘を待つまでもなく、ジャンル小説という言い方、あるいは小説のジャンル、という先入観は、無意味だ。

小説か、小説でないか、しか、区分はないはずだ。もっと言うなら、文章で表現された、可能性としての世界が、おもしろいか、おもしろくないか。

では、「おもしろさ」の実態とは、どういうものなのか。それは今後の我が課題というほかないが、伊坂幸太郎の作品には、ジャンルを吹き飛ばす爽快感があることだけは確かなようだ。

(和田文夫)

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2006年03月10日

読書日記 002 森芳子 他「こどもたち こどもたち」

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こどもたち こどもたち―1948年・1954年の絵日記

森芳子、森秀文、鶴見俊輔、谷川俊太郎、
近代出版、2002年


最近、歳をとったせいか、ふとしたはずみに、こどものころを思いかえすことが多くなった。そのとき、記憶にひっついてくるのは、質素な幸福感だ。

いったい、こども時代というのは、幸福なのか、不幸なのか。本当のところは、よくわからない。たぶん、そんなことは何も考えていないから、世界がいきいきと見えていたのだろう。

「こどもたち こどもたち」という本は、サブタイトルの通り、1948年と1954年のこどもの絵日記を1冊にまとめたものだ。加えて、鶴見俊輔の、時代のながれと人びとの暮らしを透徹した目で見据えた明快な文章と、谷川俊太郎の詩、五線譜のついた童謡などが盛り込まれている。

読んでいて、おもわず記憶がひっぱられ、自分が生きたこども時代の風景がかさなってくる。もちろんそれは、同じ時代に生まれあわせたという理由が大きい。僕は1954年に生まれたので、ほぼ同世代だといっていいだろう。1954(昭和29)年9月11日の日記は、こんな具合だ。

  おつきみだから おかあさんとぼくと、があどのとこに
  すすきをとりにいきました。(中略)
  うちにかえって おだんごも そなえました。
  なしも かきも くりも そなえました。
  よるになって おかあさんとおねえさんとぼくと
  おつきさまをみると ほんとに うさぎが
  おつきさんのなかで ならんで おもちを
  ついているみたいに くろいうさぎの
  かたちのようなものが ありました。」

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(本文より)

あのころ、季節を楽しむ行事が多かったように思う。四季の色合いは濃厚で、暮らしにメリハリをつくっていた。テレビやファミコンがないかわりに、なんでも遊びになった。小学校への道すがら、水たまりに張った氷を割ることすら遊びになった。暗くなるまで山猿のように野山を駆けまわり、家事を手伝い、親や先生をうやまい、よく笑ったり泣いたりした。昨日のことにはへこたれず、明日のことには思い悩まず、その日その日を楽しんだ。

そんな郷愁を抱くのは、時代がすがすがしかったからなのか、あるいは、こどもというものが、どんな時代でもそんなふうに生きているからなのか、僕が脳天気だったからなのか、よくわからない。

もう一つ、1954年11月10日の絵日記を紹介しよう。

  もうせん、せんせいたちと、
  とくまる(田んぼ)に いって いなごを
  とったのを きょうのよる、はねとあしを とって
  くしにさして、でんねつきで やきました。
  すごくいいにおいだから たべたくて 
  たまらないです。(中略)
  おとうさんに「あげる」といったら
  「いらない」とおっしゃいました。
  ぼくは ひとりで たべました。
  とっても おいしかったです。

僕はイナゴを食べた記憶がないが、よくハゼを釣りにいき、父がそれを甘露煮にして、正月のご馳走にしたのを覚えている。

僕は1954(昭和29)年に逗子で生まれ、三歳のときに横須賀市の衣笠という町へ引っ越した。家の前の市道はアスファルトで舗装されてはいたが、路面には、車に轢かれてぺしゃんこになった馬糞が散らばり、車もたまにしか通らなかった。

近所の友だちと、「横切り遊び」をした。向こうからやってくる車の前を、ぎりぎりに横切って反対側へ渡る遊びだ。いま思うと、とんでもない遊びだ。じっさい、友だちが、よけきれずに足がぶつかり、骨折した記憶があるが、本当のことだったのか、記憶があいまいだ。

市営グラウンドでは月に1回、家畜の品評会があって、急ごしらえの板の柵のなかに牛や馬やブタが入れられ、競りが行われる風景を楽しんだ。いま思うと、出張動物園のようなものだ。

冷蔵庫は木製で、上下に部屋が分かれていた。夏の朝、氷屋が三輪トラックで氷を売りにきて、一貫という単位で買う。その氷を冷蔵庫の上の部屋にしまう。冷気を下の部屋へ落とすというしかけだった。夕方になると、床の上に置いたバットには、溶けた氷が水になって溜まっていた。

風呂は、新聞紙とマキと石炭でたいていた。小学校4年生のころに、近所の同級生の家にテレビが入り、夕ご飯を食べ終わると、そそくさと、その友だちの家にこどもたちが集まり、正座してテレビを見た。

話し出すと切りがないのでやめるが、そんな時代だった。

ちなみに、1954年の7月に、自衛隊が発足した。

〈私たちの時代に失われてしまっているのは「幸福」ではなく「幸福論」である〉と寺山修司は言ったが、「こどもたち こどもたち」の絵日記は、軍隊を持たない国のかたちのなかで、束の間の、安息の日々をうたった幸福詩なのかもしれない。

僕らは、その詩を口ずさむことを忘れ、信じてもいない、楽しいとも美しいとも感じない騒々しい歌を、いまだに歌いつづけているようだ。歌を忘れたカナリアを笑えまい。
(和田文夫)
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2006年02月28日

読書日記 001 小川洋子『博士の愛した数式』

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博士の愛した数式

小川洋子 著、新潮文庫、2005年


舞台設定はきわめてシンプルだ。「八十分しか記憶を保持できない」老数学者と、彼の身の回りの世話をすることになったシングルマザーの家政婦とその息子の交流を描いている。

テレビをつけると、中東の民族紛争や東南アジアの政治的混乱、国会の泥仕合から防衛施設庁の談合やら青少年の刺殺事件など、世の中は激動につぐ激動で、とどまることがない。

だが、いったんテレビのスイッチを消し、小春日和の午後一時、庭へ出て、毎年、おなじ場所に顔をだす福寿草の黄色い花を見たりして一日を過ごしてみると、世界は思っているより静かなことに気づく。

どちらが本当の世界なんだろう。

クライアントのオフィスでプロモーションの会議を三時間ほどしての帰途、地下鉄の駅へ向かう途中、公園の概念をくつがえすほど狭い公園で、お母さんと子どもがのんびりと遊んでいる。

オフィスも公園も同じ空間でつながっているが、おなじ世界とは思えない。空気の密度さえちがうように感じる。どうやら、おなじ世界とは思えない世界が無数に集まって、ひとつの世界を構成しているようだ。

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「博士の愛した数式」は、無菌室にいるような、静かな小説だ。殺人事件も起きなければ、運命的な恋愛の出会いもなく、淡々とした日常が進んでいく。その静けさは、つましい、奥ゆかしい暮らしから漂ってくる。

家政婦の息子の誕生日パーティをすることになり、博士と家政婦親子の三人が手作りでパーティの準備をする場面がある。

「各々三人に役目があること。お互いの息遣いがすぐそばに感じられ、ささやかな仕事が少しずつ達成されてゆくのを目の当たりにできることは、私たちに思いがけない喜びをもたらした。オーブンの中で焼ける肉の匂い、雑巾からしたたり落ちる水滴、アイロンから立ち上る蒸気、それらが一つに溶け合い、私たちを包んでいた」

家事は、いまや、可能なかぎり回避したい、うんざりする作業になってしまった。私たちには大きな夢があり、雄大な野望があり、自己実現へ向かって忙しい身だ。だから、衣食住などの瑣末事にかまってはいられない。

ふと、ある絵日記の一節を思い浮かべた。

「1948(昭和23)年6月21日……おばさんのうちへせっけんをかいにいきました。十五円のをかいました。そしておうちにかえっておせんたくをしました。一ばんはじめにわたしのようふくをあらいました。二ばんめはおかあさんのをあらいました。そのつぎはひでぶみちゃんのおむつをあらっているとおかあさんが「ありがとう あらってあげよう」とおっしゃったのであとのこりをあらってもらいました」

(『こどもたち こどもたちーー1948年・1954年の絵日記』森芳子/森秀文/鶴見俊介/谷川俊太郎、近代出版、2002年)

まえがきで、鶴見俊介が書いている。

「この時代のこどもの絵日記には、あとの時代にない、人間の暮らしの形がみえている。……戦争文明の進歩の終ったあと、敗戦のやすらぎが、しばらく日本人に広く共有された。時代の気分が、このこどもたちの絵日記にある。私たちはそのころ、生きていることをたのしんだ」

ただ生きていくことが楽しさから面倒くさい雑務へかわったとき、私たちは何を失い、何を手に入れたか。たしかに、人はパンのみで生きてはいけないかもしれない。充足の確度は、こころの実感というおぼろげな計測値より、銀行の預金残高や年収のほうがわかりやすい。

では、私たちはどこへ行こうとしているのか。

***

「八十分しか記憶を保持できない老数学者」に、主人公の家政婦は慣れ親しみ、恋や愛ともちがう慕情を育んでいく。それまで何人もの家政婦が担当するが、長つづきしなかった。

主人公の家政婦は、なぜ博士を受け入れるようになったのか。彼女が、割り切ったからだと思う。つまり、八十分しか記憶が保たない相手(条件)に、プロの家政婦として対処したからだ。

僕は今、今年で86歳になる老母と暮らしている。わが老母は幸い、認知症にはなっていないが、直近の記憶が怪しくなってきた。同じことを何度も聞かれ、閉口し、時には怒ってしまう。

この小説が人ごとではないと思ったのは、そんな事情もある。八十分しか記憶が保たない人とどうつきあえばいいのか。それは、八十分しか記憶が保たないと割り切ればいいだけだ。八十分しか記憶が保たないことは、その人の人格に関わることではなく、その人の生きている世界が、そのような仕組みになっていることを理解することである。

この小説は、人を敬うこと、ささやかな暮らしのなかに潜む楽しみをきちんと実感すること、を無菌室のなかで培養し、私たちに見せてくれる。
(和田文夫)



posted by サンシロウ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(1) | ★読書日記