
(宮古島・来間島にて:2005年1月17日撮影)
金曜日の深夜、仕事の手を休め、コタツに入って熱燗など飲みながら、
ぼんやりとテレビを見る。画面には、うっそうたる緑の庭の小道にた
たずみ、美しい花々を眺める高齢のおばあさんの姿。やがて老女は、
やせ細った体を折り曲げるようにしゃがみ、伸び放題の野草を、のん
びりとむしりはじめる。
ふいに、目頭が熱くなってきた。えっ? 僕はいったいどうしてしま
ったのだろう。歳かな。涙腺が開きっぱなしになっているのだろうか。
とにかく、しみじみとした感動のなかにいる。それも、ただ、老婆が
草むしりをしている姿を見ているだけなのに・・・。
番組は、アメリカの絵本作家、園芸家ターシャ・テューダー(1915〜2008年)
のドキュメンタリー番組だった。ターシャ・テューダーの名前だけは、
知っていた。書店などで、ターシャの庭の写真集が何冊もディスプレ
イされているのを見たことがある。だが、ベストセラーをきらう、へ
そ曲がりな我が性格のせいか、庭ブームに便乗した、お手軽なシリー
ズにちがいないと、たかをくくっていた。まさに、編集者失格である。
番組収録当時88歳のターシャ・テューダーの薄くなった白髪、やせ
細った腕、落ちくぼんだ目は、現在89歳のわが老母の姿と重なる。
もっとも、こちらはますます頑固になり、老化していく姿に手を焼く
ばかりだが。それはともかく。
ターシャにとって最高のひととき、それは午後おそく、テラスのロッ
キングチェアーに座って飲む、一杯のお茶の時間だ。ターシャは、と
てももの静かで、謙虚で、それでいて、ぴんと一本の筋がとおったゆ
るぎない視線を孤空に投げかける。
私の目頭が熱くなったのは、おそらく、彼女の悲しみを見たからでは
ないだろうか。ひがな一日、ひとりで庭の花々や草木を相手に、孤独
な時間を過ごしている老婆の、寂しさを考える。寂しさとは、ひとり
ぼっちの自分を悲しむことでは、決してない。この世界の、命あるす
べてのものが朽ち果て、消滅し、また生まれ、育っていくことの道を
しっていることだ。喜びとは、寂しさの大地にひっそりと咲く一輪の
花のようなものだ。ターシャの眼差しを、私はそう解釈したのかもし
れない。
ターシャを見ていて、ふと、マザー・テレサを思い浮かべ、また、
ヘンリー・デイビッド・ソローを思い出し、さらにアーミッシュの暮
らしが脳裏によみがえる。
あとで調べてみると、ターシャの曽祖父・フレデリック・テューダー
は、ソローの『森の生活』に登場しているそうで、ターシャ自身、ソ
ローの暮らし方、考え方に深い影響を受けているという。
私は、自分の無知を罵倒する。
ターシャは、1972年、57歳のとき、バーモント州の南部にある小さな
町、マールボロに30万坪の土地を買い、移り住み、新たな人生をはじ
める。文明の便利な道具をさけ、19世紀のアメリカ開拓時代のスタイ
ルにちかい自給自足の生活を営んだ。もちろん、本格的に、自分の庭
をつくりはじめる。家具職人である息子が、18世紀の工法を研究し、
たった1人でターシャの家を造りあげたという。
57歳で、じぶんの暮らしの行く末をかんがえ、実行にうつし、亡く
なるまで、ずっとその暮らしを貫いてきたターシャに、ただただ畏敬
の念をおぼえるばかりだ。エコだ、スローライフだと、口先で、きれ
いごとを並べることは、たやすい。しかし、多くの欲望を捨てさり、
実際に、その暮らしのなかに入り、それをずっとつづけていく、その
ことの難しさを、想像してみる。
たいした年収もないのに、プール付の豪華な一戸建てを借金(ローン)
して買い求め、その債権が姿形をかえ、金融商品として流れ流れ、世
界金融を破壊したアメリカに、ターシャのような人間がいることをあ
らためて考えてしまう。
あなた自身は、どんな暮らしをおくりたいのですか。
そんな問いかけが、決して多くを語らないターシャの眼差しに潜んで
いるような気がした。

(宮古島・下里、宮古空港ちかくにて、2007年7月10日撮影)
(写真・文 和田文夫)