2006年02月17日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-08-2 ★ by fudao

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[photo: 上:竹富島のシーサー/中:ハイビスカス/草をはむ牛]


2006年2月4日(土)8日目-後半 石垣島/那覇


那覇に到着し、沖縄最後の晩餐は、
平和記念通りを入ってすぐの「うちな〜家」にて。
安くて美味いと、土産物屋のニィちゃんが教えてくれた店。

ゴーヤの刺身に、豆腐チャンプルー。
そしてオリオンビールを飲みながら、旅を振り返る。

8泊9日で15の島を巡る、駆け足の旅だったが、
それぞれの島には独特のカラーがあり、実に味わい深い。

また来たいと思える場所にめぐり逢えたし、
次はここへ行ってみたいという場所も発見した。

ゲストハウスで出会った人たち。それぞれの想いを胸に、
島にたどり着き、生活をしている。
しかし、想いは違っていても、
「島が好き」という気持ちは、みんな一緒だ。

道を尋ねると、仕事そっちのけで一生懸命説明してくれた、
駐車場前の交通整理のおにぃさん。

そして行く先々で目にした、
農作業に従事するおじぃとおばぁの力強い姿に、
生きていく強さと優しさを見た。

やがて、古酒に酔うころ、たくさんの思い出に、
島七味ほどのスパイスが効いた疲労が入り交じる満足感と、
「またここへ来る」という意志が肴となり、
那覇の夜は少しずつ更けていくのだった。

(終わり)


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[photo: 上:石垣島の川平湾/中:平久保崎/下・機内から見たリーフ]
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2006年02月16日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-08-1 ★ by fudao

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                        [photo: 仲間川]


2006年2月4日(土)8日目-前半 石垣島/西表島


ツアー観光で西表へ。
昨日とは打って変わっての雨模様。
風が冷たく寒い。

船で仲間川遊覧。
あいにくの雨と思いきや、
雨の熱帯雨林も味わいがあり、悪くない。

緑のマングローブの葉のなかに、
ところどころ黄色い葉がある。

海水息に生息するマングローブは海水を吸いあげ、
自らの体内で濾過をするが、それでもすべての塩分を
取り除けるわけではない。

残った塩分はこの黄色い葉に集め、
葉を落として捨てるのだという。
自然の知恵に敬服。

カメラに収めきれないほど大きい、
樹齢400年のサキシマスオウの木は、
命の尊さ、自然の偉大さを、
静かに語りかけてくるようだ。

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                 [photo: 仲間川のマングローブ]

川を下り、バスで由布島手前まで移動する。

由布島の水牛引きおじいは78歳。
寒さにもめげず現役バリバリ、
三線とともに疲労してくれた自慢の声は、
なんともシブい味を出している。
いつか僕もこんなジイサマになりたいものだ。

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               [photo: 由布島、水牛引きのおじぃ]

この日は夕方の便で那覇へ戻るため、
由布島を見たところで昼食をとり、石垣への帰路へ。
月桃屋に戻り荷物をまとめる。

月桃屋は白を基調とした明るくキレイなゲストハウスで、
年配の方や女性の一人客にも気軽に泊まれる。
2階の洗面所が3基あり、ゆったり使えるところが
特に気に入った。

月桃屋のオーナーNさんは僕と同じ横須賀出身。
旅行で台湾に2度来たことがあるといい、話が弾む。

彼女は年下にもかかわらず、とてもしっかりしている。
今の仕事に誇りを持っていて、将来の夢や目標も明確だ。
話をしていて、おおいに刺激になる。

年に1回、東京で月桃屋ナイトというイベント催したり、
オンシーズンには毎週末、宿の庭先でバーベキューを開いたりと、
訪れるお客さんをとても大事にしている。

人のために役に立ちたいという彼女の努力を、
微力ながら応援したいと思う。

そして、月桃屋ナイトでの再会を約束し、
(それまでに帰国できるかまだ分からんのだけどね)
石垣から那覇へと向かった。
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2006年02月15日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-07-2 ★ by fudao

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             photo:雲が垂れ込める川平(かびら)湾


2006年2月3日(金)7日目-後半 石垣島


「目的は青空の下に輝く、川平湾だ」のハズだったのに、
船が石垣に着くころ、雲が出はじめた。

やはり、島の天気は変わりやすい。早まったか。
それでも気を取りなおし、レンタカーで島を北上する。

川平湾は、この旅で楽しみにしていた場所の一つ。
晴れていれば、宝石のように輝くであろう湾景は想像に難くない。

結局、着いたときには曇に覆われ、青空の下では見られなかったが、
このエメラルドの海は、「来てよかった」という気持ちにさせてくれた。

近くの食堂で昼食。八重山そばを食べる。

次に向かったのは於茂登山。
那覇の床屋の主人が教えてくれた場所。

ここも楽しみにしていたが、林道が2月28日まで通行禁止。
がけ崩れがあったらしく、復旧工事中とのことだった。

仕方なしとバンナ岳まで下り、展望台から市街を一望する。
雲のわずかな隙間から刺す光が、海を銀色に照らす。

少し気分が落ち着くと、再び旅の疲労が出はじめた。
少し仮眠をとるために、とりあえず玉取崎を目指して走る。

が、玉取崎の海が見えた瞬間、眠気が吹き飛んだ。
その効き目たるや、ウコン茶よりも強力。

しばしのあいだ、時が経つのを忘れ、息を呑んだ。
まさにBreathtaking。
冷たい風さえなければ、このまま日が沈むまでいられるのに。


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                    photo:玉取崎展望台から


意を決し、玉取崎をあとにするには時間がかかったが、
水藍色の海は北へと延びている。
そのまま石垣最北端の地、平久保崎灯台へとクルマと飛ばす。

少しずつ雲が切れ、晴れ間が見えだした。
窓を全開にすると、風は暖かくもなく、冷たくもない。

ちょうどラジオから、サザンの「ロックンロール スーパーマン」
が流れてきた。このシチュエーション、
上村愛子がスキーで滑っているCMか、
それ以上の爽やかさだ。

平久保崎の景色も圧倒的。
平久保牧場の緑は、2月だというのに絵の具のように
鮮やかな色彩をしている。

夏はきっと、ここに真っ白な入道雲が浮かび、
観る者もそのパノラマのなかに溶け込んでゆくに違いない。

胸いっぱいに爽快な潮風を吸い込み、宿へと向かう。

それにしても、石垣の道路はどこもしっかりと舗装されていて、
走りやすい。旅疲れた体には、妙に優しく感じられた。


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                      photo:平久保崎灯台

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旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-07-1 ★ by fudao

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          [photo: 白砂の道は、島民が早朝に掃き清める]


2006年2月3日(金)7日目-前半 石垣島/竹富島


ついにきた、朝からの快晴。
身体もなんとなく、久々の青空に勘づいたようで、
目覚ましよりも早く目が覚める。

石垣の島宿、月桃屋から離島への桟橋までは、歩いて約12分。
澄んだ空気が気持ちよい。日の出時刻は7時25分。

石垣と台湾は270キロしか離れていないが、
石垣のほうが時差で1時間早い。
だから台湾では同じ時刻、空はずっと明るく、
ちょっと時間を得した気分になる。

街のいたるところに、選抜甲子園初出場の八重山商工を
応援する横断幕が掲げられている。

離島桟橋に着き、船で竹富へ。
その独特の街並み、文化を知ろうと、多くの観光客が訪れる。
昔ながらの赤瓦、木の電柱、石の塀、そして真っ白な砂の道は、
初めて訪れる者をホッとさせる。

竹富は大きな島ではないので、
レンタル自転車でまわるのがちょうどよい。
カイジ浜で、星の砂を探したが、
見つけることができなかった。
観光客が砂を持ち帰るため、
現在ではほとんど見られなくなったのだという。

8時半を過ぎたというのに、太陽はまだ、島の東寄りに傾いている。
カイジの海と、空のコバルトブルーの色が似ていて、
海の空の境目が分かりづらい。
境目を探そうと目を凝らすと、真っ青なキャンバスに
す〜っと吸い込まれていきそうだ。

カイジ浜からコンドイ岬に移動するころ、
ようやく浅白い光が島全体を包み込む。
道端のピンクのハイビスカスが、
久しぶりの光を待ちわびていたかのように、
目一杯その花びらを広げる。

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[photo: 水牛車でノンビリと島を観光。おじいが三線を弾きながら、
     ガイドをしてくれる。ハイビスカスを頭に飾る水牛が可愛い]

コンドイ岬は白砂のビーチ。
遠浅で、見るだけではもったいない、泳ぎたくなる浜だ。
波は穏やかで、陽の光を優しく照り返している。

沖に浮かぶ船を眺めていると、「竹富は初めて?」
と見知らぬ中年女性が話しかけてきた。
彼女は石垣出身で、現在は兵庫に住んでいる。

久々の帰省ついでに、島散策を兼ねて、
竹富の知り合いのおばあを尋ねてきたらしい。

兵庫に降る雪の話からはじまり、
竹富にとって観光産業は特に重要な事業であること、
島民は少しずつ島を出て行っていることなどを話し、
今日の夕方の便で自分も兵庫へ戻ると言い、去っていった。

火番の盛、なごみの塔を観るころには、
汗ばむほどの陽気になった。

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               [photo: なごみの塔から集落を臨む]

ゆったりとした気分で島を一周。
そして、少し気分を切り替えてペースUP。
午後は石垣へと戻り、レンタカーで石垣島をまわることに。
目的は青空の下に輝く、川平湾だ。

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2006年02月11日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-06 ★ by fudao

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                  [photo :大神島の遠見台から]

●2006年2月2日(水)6日目 宮古島/大神島/石垣島

旅の疲れが出はじめ、朝起きるのがツライ。
キッチンでボ〜っとしていると、
スタッフのAMさんがウコン茶を煎れてくれた。
初めての味に、一口で目が覚める。
まさに目からウコン(いや、ウロコ)

ウコンは肝機能を強化するので、
二日酔いにもうってつけだ。
ちなみに、宮古では、ウコン入りの清涼飲料水
「うっちん茶」をどこでも見かける。

島尻から船で大神島へ。
大神島は平良市島尻港の沖4キロに位置する、
周囲2.75km、島民37人の小さな島。

宮古の人々にとって神聖なこの島は、
ふつうに観光するのはかまわないが、
島内での軽率、非常識な行動は慎むべし。

高台に位置する神の岩に登るのはもってのほか、
秘祭「祖神祭」(ウヤガン)は、島外の人には見ることも許されない。
船を降りると、神にまつわる逸話を聞いていたせいもあり、
身が引き締まる。

しかし、道すがら島民の方とすれ違うと、
みんな「こんにちは」と気さくに声をかけてくれる。
おじい、おばあの微笑みは暖かく、なんだかホっとする。
都会にいると、こんな素朴で当たり前のことすら忘れがちになるものだ。

遠見台からの眺望は360度。
台のすぐ脇には神の岩があり、島を見守っている。

神のすぐ横で、宮古の海原を見下ろす。
僕個人としては、神を否定もしないし、肯定もしない。

ただ、この時ばかりは心のなかが、言葉では表現できないほど優しく、
白波一つ立たない大洋のように落ち着き、
そこからずっと動くことができなかった。

やがて、乗るべき帰りの船が、ゆっくりと大神港へ向かってくるのが見える。
後ろ髪を惹かれる思いで遠見台を、そして大神島をあとにし、
宮古での最後の目的地、東平安名崎へ。

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                    [photo: 東平安名崎の海]

東平安名崎で昼食。クルマを降り、灯台に向かって歩いていると、
観光客用の人力車を引く、足袋を履いたニィちゃんと目が合った。
「ここで食べる弁当はウマイよ!」
江戸っ子のように威勢がいい。

たしかにその通り、コンビニ弁当の味がいつもと違う。
都会では心の中に(意図的に)隠されてしまう感性が、
自然の恩恵によって露出、刺激され、高みに導かれているからなのだろう。

ふと、愛読しているブログの、筆者の言葉が頭をよぎった。

     *  *  *

この、たとえようもない美しい風景は、
いったい、なになのだろう?

1年、365日、僕らは一人一人、
暮らしの場所というところに住んでいる。

必然か、偶然かはともかく、
とにかく、ある場所で暮らしている。

そこでは緊張感を喪失し、
見つめることへの意欲を失っている。

その場所は、どんなところなのだろう。
自分が、目覚め、そこで採れたものを食べ、
陽を拝み、風を感じ、全身でそれを受け止めている場所なのだろうか。

旅が日常を相対化してくれるのは、
日常のなかで沈殿していく意識のかさぶたを
ある種の根源的な風景が洗い流してくれるからだろう。

ふと、そんなことを思う。
旅の感傷だろうか。
もちろん感傷も、旅のひとつの特権だ。

     *  *  *

宿に戻ると、今日も静かで優しい風が吹き抜けている。
荷物をまとめ、15分ほどウトウトしていただろうか、
気がつくと空は雲ひとつない快晴。

まったく、出発寸前に晴れるなんて。
とボヤきたくなるが、宮古が「また来いよ」と
呼んでくれているものとしよう。

ひららやの方々と再会を約束し、石垣へ向かう。
石垣空港に着く頃、島は夕暮れに紅く染まろうとしていた。

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                   [photo: 石垣港に沈む夕日]

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2006年02月10日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-05 ★ by fudao    

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                       [photo: 渡口の浜]

●2006年2月1日(水)5日目 宮古島/伊良部島

昨日の天気予報では、今日は晴れるハズだったが、
やっぱり(?)のドンヨリ空。
しかも強風。島では天気予報より、
漁師の勘のほうがはるかに当たるという。
平良港からフェリーに乗り伊良部島へ。

牧山展望台、渡口(とぐち)の浜、下地島飛行場、佐和田の浜、白鳥岬とまわった。
渡口の浜は期待通りの美しさ。
晴れていれば、ビーチはもっと白く輝くだろう。

しかし、この浜にもペットボトル、ビニール袋などのゴミが落ちている。
国産品なので、中国や韓国からの漂流物ではない。
よくもこの景色を目の当たりにしながら捨てられる輩がいたものだ。
と嘆いていても仕方がないので、手に持てる分は拾ってゴミ箱へ。

下地飛行場は日本で唯一のパイロット訓練飛行場。
間近で離陸していくジェット機はド迫力で、
この時ばかりは寒さと波の音をかき消す。

平良行きのフェリーを待つあいだ、宮古に発つ前に那覇空港の本屋で買った
「私のひめゆり戦記」(宮良ルリ著/ニライ社)を読む。
著者はひめゆりの数少ない生存者で、その文章は
当時の様子を等身大に語っておられるように思う。
若い人に、ぜひ読んでいただきたい(ってオイラもまだ若いんだけどね)。

宮古に戻り、来間島へ。
来間大橋手前の、前浜ビーチの砂がこれまた美しい。
渡口の浜と同じか、あるいは、それ以上かもしれない。
サクサクと砂に足が食い込む感覚は、雪の上を歩くような感じさえした。

来間島の展望台からの眺めも素晴らしいが、なにしろ風が強く寒かった。

宿に戻ると、キッチンでオーナー夫人のAZさんが
見知らぬ女性と話し込んでいる。
どうやらお友達のようだ。
小さな子どもがいるところをみると、主婦友なのだろう。

彼女に与那国島の話をいろいろ聞かせてもらい、与那国が、
僕がいま滞在している台湾に近いこともあり、大いに興味を引かれた。
次回は与那国にも行ってみたい。

日が落ちるころ、オーナーのHさんが仕事から帰ってきて、
スタッフのAMさんや、免許を取りに来ている泊まり客の女の子と一緒に、
キッチンでオリオンビールを飲む。
自宅のキッチンで友だちと飲んでいるような錯覚を覚える。

夕飯は、オーナーのHさんがつきあってくれて、
西里商店街にある郷土料理店「南楽」へ。
カラカラに揚がったグルクンは、骨までおいしい。
初めて古酒(クースー)を口にしたが、
そのすっきりとした味わいにすっかりハマってしまった。

その後、カリビアンバーのイスラで軽く一杯。
バーテンのHAさんも交え、サッカー談議に華が咲く。
サッカーは世界共通語というが、本当にその通りだと思う。

知り合いの外国人ともサッカー談議をすることがあるが、
みんな独自のサッカー感を持っていて話はつきない。

イスラを出ると、商店街のネオンが煌々と灯っている。
島の人にはまだ宵の口。
「宮古は、島の人口の割に飲み屋が多いんだよ」
とオーナーのHさんが言う。

それにしても、この島は、なぜこんなに居心地がいいのだろう。
そんなことをふと考えながら、のんびりと夜の町をあとにし、
宿へと向かった。

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                [photo: 右手に来間大橋をのぞむ]
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2006年02月09日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-04 ★ by fudao   

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[photo: 砂山ビーチ]


●2006年1月31日(火)4日目 宮古島

本島から宮古へ移動。が、宮古も雨。
ちょうどオリックスがキャンプインする日で、
空港には報道陣が詰めかけていた。

空港には宿のスタッフ、AMさんが迎えに来てくれていた。
推定年齢53歳。長髪を後ろで縛り、髭を蓄えている。
独特の雰囲気を持っているが、物腰柔らかく、すごく落ち着いている。
彼を見て、これから泊まる宿への興味がいやがうえにも高まった。

かなり雨脚が強くて視界がぼんやりしているが、
車窓から見る宮古の雰囲気がすぐに気に入った。

台湾には僕の大好きな台南という街があるが、
初めてそこを訪れたときに持った印象を、宮古でも感じた。
両方とも気どらない、飾らない街。
僕のなかで、何かがグルーヴしている。

宿の「ひららや」に着くと、オーナー夫人のAZさんと、
まだ生まれて4カ月の息子さんが出迎えてくれた。
二人を前にすると、小春日和を浴びているような気分になる。

宿は定員8名の、アットホームな雰囲気に溢れているゲストハウス。
ドミトリーは木目調で、個室は和室。
清潔感があり、明るすぎず暗すぎず。
骨からリラックスできる空間。

なるほど、ここはオトナの隠れ家なのだ。
この日は雨だったが部屋を吹き抜ける風は生暖かく、
BGMのBOSSAが絶妙に合っている。

僕の他には、若い女性の一人客が泊まっていた。
運転免許を取るために宮古に来たのだという。
話をしていると、妙にノンビリしていて、面白い。

雨だし、このまま部屋で一日を過ごすのも悪くないか
と思っている矢先、突然晴れ間が見えてきた。
島の天気は変わりやすい。即レンタカーショップにTEL。

15分後、宿にクルマを届けてくれた。
マニュアル通りのウザったい説明はなく、注意点は以下の2点だけ。

「この時期はサトウキビの皮が道路に落ちているので、
 踏んづけてスリップしないように注意してください」

「軽トラを運転するオジィとオバァには注意してください。
 ウィンカーなしで平気でどこでも曲がりますから」

なんとも微笑ましい。こういうノリは大好きだ。
少しクルマを走らせれば、サトウキビ畑が広がるノンビリ風景。
本島よりもさらにゆったりと時間は流れる。

砂山ビーチの海の色には感動の一言。
この青こそ、僕がずっと見たかった色。

宮古の海の色は通称、宮古ブルーと呼ばれており、
これはサンゴ礁が隆起してできた島で、高い山がなく、
川もほとんどないため、土砂が海へ流れないから保たれる、
宮古独特の色なのだ。

ズボンの裾をまくり水に足を入れているだけで、
幸せな気持ちになってくる。
水はそれほど冷たくない。

天気がもっと良ければ泳げそうなくらいだ。
雨のあとだからか、あまりに水が澄んでいるので
本当に海水なのかと疑ってしまう。

で、飲んでみた。僕が知っている東京湾の、
いわゆるベタベタ感と塩ッ辛さはまったくなく、
サラサラとしている。ビーチの砂もサラサラだ。
砂は食べてないけど。

我を忘れ、しばらく海の色に見とれていたが、
空が再び曇りだしたのでクルマへ戻り、池間島へと向かう。

小雨がパラつくが、池間大橋からの眺望も素晴らしく、
ただそれだけのために橋を3往復もしてしまった。
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2006年02月07日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-03 ★ by fudao   

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[photo: ひめゆりの塔


●2006年1月30日(月)3日目 沖縄本島

レンタカーで本島南へ。
首里城から、旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、平和祈念公園、
そして伊計島まで延べ160キロ。

首里城には朝9時前に到着していたので、開門の儀式が見られた。
城内は戦火などから何度となく修理、再建されているが、
正殿内部は当時の様子が良く分かる造りになっている。
台湾と交流があったであろう色使いも垣間見られて面白い。

だが、僕の興味を引いたのは昔のまま残された城壁や門。
その景観には月日を経ただけの重みがある。
言ってしまえばただの石の色だが、なんとも綺麗なのだ。
曇り空にもシブく映える。

旧指令軍部壕へ。その内部はなんとも痛ましい。
激戦の最中、ここに多数の兵隊が詰め込まれ、横になることもできずに、
夜な夜な立って眠ったそうだ。

この壕は山の高台にあり、眼下に豊見城と那覇の街並みを一望できるが、
壕に入る前の市街地と、見終わってからのそれとでは、見え方が異なる。

街が発展し、今の姿になるまで、どれだけの苦労や過程があったか
想像を絶するものがあるのは百も承知だが、何かを感じずにはいられない。

ひめゆりの塔へ。
恥ずかしながら僕はひめゆりを完全に誤解していた。
おそらく塔が一つポツンとひとつ立っていて、
10分も見れば終わるのだろうと思っていたが、とんでもなかった。

壕を目の前にし、その空気に完全に飲み込まれ、鼓動が速くなる。
ひめゆり平和祈念資料館では、実直にその悲しみが伝わってくる。
館内で上映されているVTRでは、生存者の方が当時の様子を淡々と語っているが、
その言葉の裏にある悲しみ、苦しみがどれだけあったのかと思うと、
知らずのうちに涙が滲む。

「負けても、勝手も、たくさんの命を失う。得することは何一つない。
 それが戦争です」
生存者の方の一人が述べたこの言葉が、今でも鮮烈に残っている。

平和祈念公園に着いた頃、薄日が差してきた。
少し暑いので帽子を被って車を降りたが、公園内を歩いていると、
すべからく帽子をとってしまう。
そんな気持ちにさせられる場所だ。

平和の礎に刻まれている戦没者の数は24万人以上。
今でも度々追刻されている。

公園の中には、人の声も、車の音も、鳥の鳴き声もなく、
ただ繰り返し打ち寄せる波と、吹きぬける風の音だけが、
ずっと響いていた。

それから島を北上し、海中道路、伊計島方面へと向かった。

今日のコースはレンタカーで正解だったと思う。
バスツアーだと、一つ一つの場所で制限時間があるため、
時間を気にしながらの行動になるからだ。
レンタカーなら時間にとらわれず、
ゆっくりと思考を巡らしながら拝観することができる。

ただし重要なことは、見るだけでなく、自分に何ができるかを考え、
行動に移すことなのだと改めて実感した。
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旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-02 ★ by fudao

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●2006年1月29日(日)2日目 沖縄本島

想定内の曇り空。琉球バスの観光ツアーに参加した。
僕のお目当ては万座毛と海洋博物公園の美ら海水族館。
この日は風がほとんどなく、
悠然と佇む万座毛は評判通りの美しさ。

幾千年という時を越えて出来上がった光景。
晴れた日にもう一度行ってみたい。

美ら海水族館のスケールは圧巻の一言。
ジンベイザメ、マンタの複数飼育は世界初、
その水槽は薄いアクリルを何枚も重ねていて、
厚さがおよそ60センチにもなるという。
それでもここまでの透明度を出せる技術に感服。

イルカのショーやウミガメ専用の水槽もあり、
実際見ウミガメは水槽横の人口浜で産卵をする。

野生のイルカやウミガメは、
エサとビニール袋を区別できずに
誤ってビニールを食してしまう。
その結果、体内に宿るビニールに長い間苦しまされ、
死に至ることも少なくないという。

ある学者が、人類最悪の発明はビニール袋だと言ったそうだが、
確かにその通りかもしれない。
東南植物楽園を見学中、2度、空に爆音が響いた。
この近くには嘉手納がある。
那覇への道中、コザを通る頃、
昨日買った伊禮麻乃の楽園がずっと頭に鳴り響いていた。


  「楽園」伊禮麻乃 作

   なぜここは楽園と 呼ばれるのだろう? 
   自然は減ってくし 言葉も失いかけている
   わずか三味の音が 聴こえてくるけど 
   今日も空は爆音で 二つに割れてる
   ・・・

★添付写真★  この水槽にさえも、ビニールやキーホルダーなどを投げ
        込んでしまう輩がいて、誤って食べてしまったウミガメ
        の排泄物から出てくることも少なくないという。すべて
        の人がワザと投げ込むわけではないと思うが、人間だっ
        て自分の赤ん坊の手の届くところに危険物を置いたりは
        しない。この水槽や実際の海でも、それくらいの配慮が
        あって当然だと思うが、いかがだろうか。
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2006年02月05日

旅の日記 ★ 琉球紀行 2006-01 ★ by fudao

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●2006年1月28日(土)1日目 沖縄本島

那覇空港に降りると空は晴れていた。
「早く海が見たい」
人一倍せっかちな気持ちがはやる。

三十路になって少しは落ち着いたと思っていたのに、
人間の本質なんて簡単には変わらないらしい。

この時期、台北の天気はずっと曇りか雨。
スッキリ晴れることは少なく、予報ではこの頃の沖縄の天気も同様で、
滞在中ずっと雨なのではと、来る前はやきもきしっぱなしだったのだ。

旧正月休暇を利用しての8泊9日琉球の旅。
台湾で仕事をしている僕にとっては、これが正月。
沖縄を訪れるのは初めてだ。

「ここから一番近い海は、どこですか?」
次の瞬間には道行く人に聞いていた。
国際通りから車で10分ほどの 波の上ビーチだという。
すぐにタクシーを飛ばす。

商業港近くの、人工で作られた、なんとも小ぢんまりとしたビーチだったが、
海の色は悪くない。

ここで初めて沖縄に来たのだと実感し、僕の心拍も落ち着く。
ズボンの裾をまくって遊ぶ子供、水着で日光浴をする若者など、
思い思いに人々がゆったりとした時間を過ごしていた。

国際通り方面へ向う。
しかし、どうしてタクシーの運ちゃんはみんなオジィばかりなんだろう。
タクシーを降りる際、料金を小銭で渡したが数えようともしない。
これが沖縄流か。

安里にある、Shell Houseというゲストハウスにチェックインし、
チャリを借りる。
国際通りを散策するにはチャリは非常に便利だ。

楽器屋で聴いた三線の音色に惚れた(買ってないけど)。
高良レコードには沖縄アーティストのCDが豊富あり、
伊禮麻乃(いれいあさの)の「楽園」を購入。
沖縄旋律をポップスに仕上げていて優しいサウンド。
歌詞にメッセージ性があって、それを伸びやかに優しく歌い上げている。

国際通りを一通り見たところで、ボサボサに伸びた髪を切ることにした。
これも旅の一部。

台湾では、上手くは切ってくれるが
いつも決まってこちらが頼むより短くされてしまう。
細かく日本語で意思疎通できるのはやはり嬉しい。

床屋の主人は石垣出身。
バカがつくほど丁寧な仕事振りをリスペクト。
柔らかい口調で沖縄のことをいろいろ教えてくれた。

オススメの料理屋は、国際通りの裏道に入ったすぐの「牧志食堂」。
沖縄では、定年退職した男性、
なかには女性もタクシーの運転手として再就職する人が多いという。

彼によれば、運転手を辞めるのは本人の意思1つなのだそうだ。
それはそれでちょっとコワい気もするが・・・。
そして、石垣の見所は於茂登山。
絶景が見渡せるとのことで、気持ちがまた、にわかに高まる。


★添付写真★  波の上ビーチ付近で咲いていた桜。
        沖縄の桜はソメイヨシノより色が濃く、
        花びらが多少小ぶりであるのが特徴だという。
        台湾に赴任する前の自分は、
        4年ぶりの桜を沖縄で見ることになろうとは
        思うはずもなかった。

posted by サンシロウ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ★琉球紀行-2006